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第百十九話 幻の脚本⑧

前号からの続き

9 久留米空襲

 昭和20年8月14日、日本はポツダム宣言を受諾し、戦争は終戦を迎えた。ところがそのわずか3日前の同月11日と翌日12日、米軍は久留米市に対して〈駆け込み爆撃〉ともいうべき戦略なき空爆を敢行し、このまちに死者212名、消失戸数4506戸という大きな被害を与えた。

その日、櫛野一家は昼食後のひとときを過ごしていた。母・節子(28歳)は娘の美奈子(きなこ・7歳)と、2人仲良くタイルの流しの前で昼食後の洗い物をしている。炊事場の窓ガラスには空襲時の飛散防止の紙テープが貼られている。節子はすまなそうに言った。
 「みなちゃんゴメンね、毎日すいとんばかりで」「いいよ。美奈子はお母ちゃんのすいとん、おいしいから好き」「ありがとうね」
 節子はしゃがんで、美奈子と額を合わせて微笑んだ。「お父ちゃんは戦地で頑張っとるから、うちも3人で力を合わせて頑張ろうね」「うん!」美奈子は元気よく応えた。
 軒下では長男の端午(9歳)がタライで行水をしている。水の上には手製の小さな軍艦が数隻浮いていて〈海戦〉が繰り広げられている。タライの中では日本軍が優勢のようだ。
 洗い物が終わると、美奈子は画用紙の描きかけの絵を描きはじめた。家族の絵である。七歳の絵にしては良くできている。節子が絵をのぞき込んで言った。「もうすぐ完成ね。やっぱりみなちゃんは絵が上手ね」美奈子は少し照れて微笑んだ。節子は美奈子に頬を寄せて言った。「これ送ったら、お父ちゃん絶対喜ぶね」。 
 この日は特別に蝉の声がかまびかしい。水の照り返しもなぜか眩い。いつしか風もやみ、神社の檜の樹冠もじっとしている。その向こうには白い入道雲が湧いている。節子と美奈子はふと目を見合わせた。端午のタライの軍艦がポチャリとひっくり返った。突然、空襲警報が鳴り響いた。

 沖縄を飛び立ったB24爆撃機150機は編隊を組み、爆音を轟かせながら白昼堂々とやって来た。筑後川河口から川を遡るように進入した編隊は、久留米上空に達すると、一斉に爆弾を投下した。たてまえは筑後川に架かる国鉄の鉄橋が爆撃目標とされていたが、実際は、その爆弾のほとんどは市街地へ投下された。一般市民への無差別爆撃である。

 サイレンの中、防空ずきんを被った3人は走った。爆撃機の爆音が次第に近づいてくる。防空壕にたどりついた途端、美奈子が立ち止まった。「いけない、絵を忘れた」「いいから中に入りなさい!」節子は美奈子の手を引いた。隣組の男たちが早く入るように急かしている。しかし美奈子は節子の手を振りほどき、走り出した。追いかける節子と端午。そのとき上空から、笛の音のような焼夷弾の落下音が無数に聞こえてきた。節子は美奈子に追いつき、家に入ろうとする美奈子の行く手を遮った。「お母さんが取ってくるから、2人とも壕に入ってなさい」
 節子は家に飛び込んだ。同時に周囲で焼夷弾が炸裂、端午と美奈子は地に伏せた。
 次々に立ち上がる巨大な火の柱。そして節子が美奈子の絵を持って外へ出ようとした瞬間、至近弾が炸裂した。節子は倒壊した家の下敷きになった。端午と美奈子が駆け寄ると、瓦礫の隙間から美奈子の絵を握りしめた手が見える。「お母ちゃん!」2人は駆け寄った。
 瓦礫の下から節子の声が聞こえた。「この絵を持って逃げなさい」2人は泣きながら、積み重なった大きなはりを持ち上げようとするが、子供の力ではどうにもならない。火の手が近づいてきた。
 2人はまだ動かぬ梁と格闘している。節子は叫んだ。「早く逃げなさい!」迫り来る火の手は、ついに節子の上の瓦礫に達した。「お母ちゃん!お母ちゃん!」泣き叫ぶ美奈子。「逃げなさい!」
 柱に火が移った。「端午!美奈子を頼むよ」端午は腹を決めて、梁にしがみつく美奈子を引き離した。美奈子の絵が炎に包まれてゆく。
 赤黒く染まった空に、美奈子の母を呼ぶ声がいつまでも聞こえた。

次号へ続く

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