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第百話 ネコの修行

 私が小学6年のころ、家には巨大な雄ネコがいた。その名は、日本一ありふれた「タマ」。柄はチャトラだが、その巨大さゆえ、近所の幼児は寄りつきもせず、泣き出す子供さえいた。

 ある日私は、体が重すぎてジャレようともしないタマの両前足を持ち、2本足で立たせてダイエットを兼ねたダンスの真似をさせていた。タマは抵抗もせず、むしろ私と遊ぶのを楽しんでいるようだ。かたわらではオヤジが屋台の仕込みをしている。タマはダンスに飽きると。私の膝の上で丸くなった。目を閉じてくつろいでいるタマの顔を何気なく見ていると、どこのネコも共通していると思うが、ネコの両耳は外側が少し切れていて、そこを保護するように薄い皮が被さっている。考えてみれば不思議である。そこで、自称物知りの親父に訊いてみた。オヤジは豚肉をタコ糸で巻きながら答えた。「そら、ネコ山で修行した証たい」ネコ山?修行?何それ。オヤジ曰く、雄ネコは成人前にはネコ山で修行をせにゃならんしきたりがある。そこで厳しい修行を終えたのち、猫神様の赦しを得た雄ネコのみが、大人の雄ネコとして認められる。両耳が切れているのは、その証文ということらしい。「まあ、昔の男子の元服みたいなもんたい」もっともらしいことを言うが、いい加減なオヤジの作り話だと思いながら聞いていた。しかし愉快な話ではあるので、私は面白半分に質問を続けた。「そのネコ山ちゃ、どこにあると?」オヤジはすかさず答える。「俺が熊本でテキヤしよるときは、そこ辺のネコは阿蘇山に出向きよった」絶対ウソだと確信しつつも、「ふーん、じゃあ久留米のネコは?」オヤジは少し考え、「背振山のあたり」と言う。「久留米のネコなら高良山やろ」とは思ったが、ネコ山には、ある程度の標高と山の深さが必要なのだろうと勝手に解釈した。その話をし終えたオヤジは、さっさと屋台に向かったが、フィクションにしても楽しい話であった。私は、深山幽谷で千日回峰行などの修行に励む白装束のネコの姿の想像を、しばし楽しんだ。

 それから1〜2年が過ぎ、私も中学生になったある初夏の夜のこと。居間で晩酌中のオヤジが私を呼んで言った。「タマが家を出たぞ」と。「またネコ山ね?」私が問うと、そうではないらしい。オヤジは床の間を背に、縁側のガラス戸を全開にして酒を飲んでいたという。すると縁側に隣接した隣の家の軒をタマが歩いていた。そしてタマは立ち止まり、オヤジをしばらく見つめたあと、「ニャン」と一声鳴いて立ち去ったそうだ。「直感やけど、あれは別れの一声やった。タマはもう帰って来んぞ」オヤジはそう言うと、コップ酒を飲み干した。
雄ネコは家を出たまま数ヶ月も帰って来ないことがある。それが「ネコ山伝説」の所以となったのであろう。また、ネコは飼い主の知らないところで死ぬという話もある。それをオヤジは直感で感じたのかも知れない。誠に不思議に包まれた動物である。タマも2度と戻って来なかった。

 余談だが、熊本のネコ山とオヤジが言った「阿蘇山」。その阿蘇五岳の1つに根子(ねこ)岳という岩峰の名山がある。オヤジはその山の存在を知っていたのか、もう、その疑問を解く術はない。

 今回、記念すべき本誌100話目のコラムでありながら、ラーメンではなくネコ話なっとん書いて、誠にすんまっせん。

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