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第九十四話 白いカーネーション

 私が中学一年のとき何を思ったのか、母の日にタミーの花屋で一輪のカーネーションを初めて買った。それを照れくさそうに母に差し出すと、母は一瞬戸惑った顔をした。「今日は母の日やけん・・・」私が言うと、母は我にかえり、目を潤ませて喜んでくれた。たった一輪の花で。そのときの母の嬉しそうな顔は今でも印象深く記憶している。日々、父親の暴力と酔狂に耐えながら私たち兄弟を守り育ててくれている、そんな母への感謝が私の中にあったのかもしれない。その後も母は晩年まで、事あるごとにその時の感激を口にしていた。

 しかしその「一輪のカーネーション贈呈」の日から十数年後のこと、母は例によって母の日の思い出話を始めたのであるが、そのときは内容が少々いつもと違っていた。
母曰く、「あん時はほんなこつ嬉しかったばーい。ばってんね、今やけん言うばってん、白いカーネーションはね、亡くなった母親に供える花たい。ばってん嬉しかったー。」私は「えー、し、知らんやった!」。そういえば花屋のカーネーション売り場はほとんど赤いカーネーションばかりで、白いカーネーションはその片隅にわずかに数輪置いてあるだけ。それが私には返ってつましく美しく見えたので買ったのである。今さら白いカーネーションの意味を始めて知り、赤面した。縁起でもない。誠に無知は罪である。

 いま思えば、あの日私が差し出した白いカーネーションを見たとき母は頭の中で「ん?花?カーネーション?そうか今日は母の日か。しかし白。」という連想が働き「一瞬戸惑った顔をした」のであろう。しかしそんなことより息子が初めて母の日に花をくれた喜びの方がはるかに大きく、それが目を潤ませたに違いない。しかもカーネーションが白かったこととその意味など、そのときもその後も一言も触れず、やがて息子が社会人として巣立つ直前に、知識としてそれを伝えたのだ。母の優しさである。世の母親とは皆そういうものであろう、またそうであってほしい。

 母が逝って早九年。今年も母の日が近づいてきた。その日には五十年振りに一輪の白いカーネーションを母の遺影に供えよう。

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