「南京千両」さんと言うラーメン屋台の存在のおかげで「とんこつラーメン発祥の地」とされている久留米。実は来年、そのとんこつラーメンの誕生80年という大きな節目を迎えます。そこで、若手ラーメン店主を中心に、様々な活動に精を出している「久留米・ラーメン会(吉野亮会長)」が一念発起。12年前に「とびうめ国文祭」の目玉事業として大成功した「ラーメンフェスタin久留米」を、とんこつラーメン誕生80周年を祝して、再び開催したいという、あるメンバーの思いに全メンバーが賛同しました。しかし、その思いを実現するには、かつてのラーメンフェスタを企画・運営し、現在は休眠中の組織「久留米・ラーメンルネッサンス委員会」の運営ノウハウと機動力が必要不可欠です。ところが、産・学・官の重鎮で構成された同組織の再活動を要請するということは大変なことです。そのことは、ラーメン会の若手店主たちもよく分かっています。「ならば」と、若手店主たちが白羽の矢を当てたのが、かつて久留米・ラーメンルネッサンス委員会では「アドバイザー」という立場であって、現在は久留米・ラーメン会で相談役という閑職に甘えている私でした。
1年半ほど前、久留米・ラーメン会の新年会だったかの宴席で、私は若手店主たちに「ラーメンフェスタの再開催」の話を持ちかけられました。その場で私は酔いも手伝って(?)猛反対しました。
平成11年から16年まで、毎年開催し続けた大規模なラーメンフェスタで、私は身も心もボロボロでした。それは簡単に説明するなら、自身の本業がラーメン店主でありながら、フェスタの企画・運営側の立場であることで派生する矛盾と軋轢とでも言いましょうか、心の平衡感覚は「深い谷間に張られた1本のロープの上を、命綱なしで渡っている・・・」そんな感じでした。やがて私は言いました。「お前たちはフェスタの華やかさだけ見て、その陰に潜む黒子たちの凄まじい苦労と苦悩の存在を知らんやろ!バカタレが!」「公のために、持ち出しの繰り返しで散財の限りを尽くし、本業が傾くかもしれん、そげな覚悟はあるんか!バカタレが!」そんな悪態を吐くほど、私は悪酔いしてしまいました。それでも若手店主たちは、千鳥足で帰路につく私を優しく見送ってくれたのを覚えています。
そして先日、若手店主たちは私の自宅を訪れました。それも夕刻の、私が酒に酔う前の絶妙な時間を狙ってやってきたのです。彼らの手土産は「酒」でした(笑)。
〜次号へ続く〜