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第五十九話 日本の絶滅危惧文化

 ~町からフラリとやって来た見ず知らずのラーメン屋のオヤジに、元気良く「こんにちわー」~そんな、山奥の小学校の素晴らしい子供たちがきっかけになって、やがてその小学校をテーマにした一軒のラーメン店が誕生したという物語は、幾度となくこのコラムに登場しました。その全校生徒わずか十三名の「矢部村立飯干小学校」は、もうその山村にはありません。この古き良き“日本の小学校”は四年前に廃校になってしまいました。
 一方、これは現在、ある町のある小学校の話。
 ~六年生のクラスで一時間目が始まろうとしています。
 教室に先生が入って来ました。「おはよう」先生は生徒に挨拶しました。ところがほとんどの生徒は知らんぷり。そのまま先生は教科書を開き、授業を始めました。そこには「チャイム」も鳴らなければ、生徒の「起立」「礼」の挨拶もありません。
 いつのまにか始まった授業、生徒はワイワイガヤガヤ、好き勝手なことをしながら授業を“やり過ごして”います。
 やがて一時間目が終わりました。やはり「起立」「礼」はありません。いつの間にか始まり、いつの間にか終わる授業。そこには何のけじめもなく礼節もありません。生徒の胸には決められているはずの「名札」もありません。教室の床を見ると、あちこちにゴミが落ちています。誰も拾おうともしません。掃除の時間じゃないから?掃除の当番ではないから?生徒は皆「無関心」。
 勉強を教えてくれる先生にも、足下のゴミにも、イジメる子にも、イジメられる子にも、「無関心」~ これが町のある小学校の現状です。
 「自由」と「無秩序」を履き違えた教育現場です。
 学校側は「チャイム」も「起立」「礼」も「生徒に自主性を持たせるために廃止した」といいます。じゃ、なぜ(小学生よりは)自主性があるはずの中学や高校でそれが廃止されていないのか?
 子供たちに「おはよう」の挨拶ひとつさせることが出来ない教育の現場が、何が「自主性」でしょう。
 そんな教育を受けてしまった子がやがて社会に出て、会社の名札もつけない。上司にもお客様にも挨拶ができない。社内のゴミも拾えない。始業終業のけじめもない。仕事で悩んでいる同僚や部下が目の前にいても無関心。
 こんな人間を雇う会社がどこにあるでしょう。
 当然、そんな人間に育ってしまう原因は、その子たちの家庭環境にもあるでしょうし、それが大きなウエイトを占めているのは事実でしょう。だからこそ、そんな家庭があるからこそ、学校は親と地域三位一体となって子供たちを正しく導くべきではないでしょうか。
親兄弟・目上の人を敬い、目下の面倒をみる。人と会えば元気な挨拶。そんな素晴らしい日本の文化を、残念なことにいまの教育現場は、意識的に滅ぼそうとしているように思えてなりません。僕は軍国主義でもないし政治思想家でもありません。しかし、戦後教育は特に近年、日本文化の素晴らしさや日本人としての誇りよりも、日本人として生まれたことへの自虐精神を、子供たちに植え付けようとしているように感じます。
 冒頭の矢部村の立飯干小学校には、元気で礼儀正しい小学生らしい小学生がいました。そんな子供たちを育てるこわくて優しい本物の先生がいました。
 そして、そんな先生と生徒をいつも見守る村がありました。