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第四十二話 木造校舎のラーメン屋・上

 去年の春でしたか、このコラムで矢部村のお話をしました。そう、幻の食材“干し竹の子”探しの果てに、僕が出会った“福岡県内最後の秘境”といわれる山村と、そこに棲む素晴らしい人たちの話でした。その文中に「この出会いは“ただならぬ出会い”になる予感に包まれた」という一節がありましたが、今回はその後日談をひとつ。
 それは二年前の冬、例の“干し竹の子”件で矢部村の村長さん宅を訪れた日のことです。村長さんのご長男T氏との世間話の中で、地元の子供たちが通う、全校生徒13名という小さな小学校の話になり、そこの卒業生でもあるT氏にその学校を案内していただくことになりました。
 その学校の名は“飯干(いぼし)小学校”。
矢部川最上流域のこの村の学校の中でも、最高(標高)地に位置するその小さな小学校は、うっそうとした森に囲まれた急斜面の狭い通学路を、ひたすら登り詰めた高台にありました。 ちょうど休み時間だったのでしょう、懐かしい木造校舎の中から元気な子供たちが飛び出してきました。瞬間、その子供たちの姿に僕は驚きました。この小雪がちらつく渡り廊下を、何と裸足で駆け回っているのです。そして見ず知らずの僕にも「こんにちはー」と元気なあいさつ。 もはや都会の小学校がなくしてしまった、日本の小学校とその子供たちの素晴らしい原風景がここには残っていたのです。感動している僕に、T氏が一言。
 「実はこの飯干小学校もこの春には廃校になり、校舎も取り壊されるんです」
…少なからずもショックでした。聴くところによると、飯干小学校は明治十四年、現在地より低い集落の近くに創立されたものの、七十六年後の昭和二十八年、日向神ダム建設による校舎水没のため現在の高台に移転。そしてその四十三年後の平成十二年、村の過疎化による生徒数減少により、本年三月の廃校が決定し、百十九年の歴史を閉じることになったそうです。 二十歳過ぎから約二十年、全国の渓流を釣り歩いていた僕にとっては馴染み深い、そして大好きな山村の風景の一部がまた失われようとしています。何とも残念で、悲しい気持ちでした。
 日本の美しい清流の源流域に息づいてきた山村の典型的な運命、それは戦後の経済成長と共に始まりました。下流のまちを洪水から守り、そのまちへ電力を供給するために、山に棲む人々が太古から開墾し代々守り続けた土地が、ダム湖の底に沈められるのです。その恩恵で下流のまちは栄え、人口が流入し、山の若者までもが職を求めて村を捨て、華やかなまちへなだれ込みました。かくして山村はいっそう過疎化するという、この悪循環のなかで、この国から少しずつ、しかし確実に山村はその姿を消し始めました。日本の山村は、まちへ水と電力、そして若者まで供給し続けながら消滅しようとしているのです。この飯干小学校の運命は、まさに日本の山村の運命の縮図でした。
 そんなことを考えながらT氏の寂しげな横顔を見ているうちに、僕の中にある想いがふつふつと沸き立ち、思わずT氏に突拍子もないことをお願いしてしまいました。それは…