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第六十話 薄いランドセル

 ある日、机の引き出しの奥から、昔の写真を1枚見つけた。それは昭和39年、私が小学校入学式の日のもので、私は近所の同級生カズタカ君と2人並んで写っている。何気なく2人の姿を見比べると、私は隣の同級生よりもとても小さく、とてもカズタカ君と同級生には見えない。3月末生まれ私のデメリットが如実に現れている。しかも私の笑う口には歯がない。前歯の乳歯が全て抜け落ち、唯一残されているのは両サイドの犬歯のみで、まるで鬼の子である。
服装に目を移すと、私が被っているのは運動会の赤白帽子で、なぜか左にひどく傾いている。シャツは白い開襟シャツ、上着は何やら戦時中の国民服のようなもので、左胸には「かつきひとし」と書かれた白い布が縫い付けられている。上半身しか写ってないが、とても戦後19年を経た時代の小学生には見えない。
一方、カズタカ君はと見ると、前歯も揃った賢そうな顔の上には眩ゆい校章の着いた学生帽が傾くことなくキチンと乗せられており、白いワイシャツの首元は蝶ネクタイ。上着は何とダブルで、胸ポケットには純白のチーフが顔をのぞかせている。それは現代にも通用する子供の礼装であり、対極に位置する私と並ぶと、育ちの違い、貧富の差がひと目で理解できる、ある意味優れた写真である。

 この頃、私の両親は「大砲ラーメン」という1軒の小さなラーメン屋台を生業としていたが、商売はまだまだ軌道に乗っておらず、実際貧乏であった。その状況がこの写真に見事に現れているのであろうが、写真の私の笑顔を見る限り、貧困とか苦労とか気にしないというか、理解していなかったと思わせる屈託のなさを感じる。
しかし、ただ1つだけ、あることに「恥ずかしい」と思った記憶がある。それは「ランドセル」。当時から子供の小学校入学前には、その親や祖父母が競うように立派なランドセルを買い与える習慣があった。いわばランドセルがその家のステータスである。入学後、私の周りの同級生たちは皆、「俺のは5段ばい、私のは6段よ」などと、中の仕切りが何段もある分厚いピカピカのランドセルを自慢しあっている。その中で私ひとり、周囲のランドセルの半分の厚さもない、仕切り1枚2段のとても薄いランドセルで登校していた。このことを、私はとても恥ずかしく思っていた。親に何も言えなかった私は、心のどこかに微かな恨みを持っていた憶えがある。
 いま思えば、そのときの私の両親は、その薄いランドセルを買うことだけでも精一杯だったのであろう。ランドセルがどれだけ薄くても貧弱でも、親に感謝こそすれ、微かな恨みなどと・・・。
 人の親になって久しいが、そんなことを考えさせてくれた1枚の古い写真であった。