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第百六話 木造校舎と大砲ラーメン(上)

 この度、築20年を超えた大砲ラーメン小郡店をリニューアルすることにした。といっても全面改装ではなく、傷んだ木製の外壁をすべて金属製のサイディングに張り替える工事と、エントランス周囲の木部に塗装を施すくらいで、通常営業をやりながらの改装工事である。店内は基本的に現状を維持することにした。というのも、この店内の造作には、廃校になった山の小学校の校舎の廃材を使わせていただいたという事実と、そこに至るまでの、私も含む幾人もの関係者の思い入れがあるからだ。

 廃校になったその小学校の名は「飯干いぼし小学校」。それは矢部川最上流域の村の学校の中でも、最高(標高)地に位置する。当時、私はその小学校の所在地・矢部村の村長さんのご長男のT氏と、縁あって親交が始まったばかりであった。

 冬のある日、T氏の案内で飯干小学校を訪れた。T氏ご自身この学校卒業という。その小さな学校は、うっそうとした森に囲まれた急斜面の狭い通学路を、ひたすら登り詰めた高台にあった。ちょうど休み時間だったのだろう、懐かしい木造校舎の中から元気な子供たちが飛び出してきた。瞬間、その子供たちの姿に私は驚いた。この小雪がちらつく渡り廊下を、何と裸足で駆け回っている。そして見ず知らずの私にも「こんにちはー」と元気なあいさつ。

 もはや都会の小学校がなくしてしまった、日本の小学校とその子供たちの素晴らしい原風景がここには残っていた。感動している私に、T氏が一言。「実はこの飯干小学校もこの春には廃校になり、校舎も取り壊されるんです」…少なからずショックを感じた。

 T氏の話によると、飯干小学校は明治14年、現在地より低い集落の近くに創立されたものの、76年後の昭和28年、日向神ダム建設による校舎水没のため現在の高台に移転。そしてその43年後の平成12年、村の過疎化による生徒数減少により、同年3月の廃校が決定し、119年の歴史を閉じることになったそうだ。

 二十歳過ぎから長年、全国の渓流を釣り歩いていた私にとっては馴染み深い、そして大好きな山村の風景の一部がまた失われようとしている。何とも残念で、悲しい気持ちになった。

 日本の美しい清流の源流域に息づいてきた山村の典型的な運命、それは戦後の経済成長と共に始まった。下流のまちを洪水から守り、そのまちへ電力を供給するために、山に棲む人々が太古から開墾し代々守り続けた土地が、ダム湖の底に沈められる。その恩恵で下流のまちは栄え、人口が流入し、山の若者までもが職を求めて村を捨て、華やかなまちへなだれ込む。かくして山村はいっそう過疎化するという、この悪循環のなかで、この国から少しずつ、しかも確実に山村はその姿を消し始めた。

 日本の山村は、まちへ水と電力、そして若者まで供給し続けながら消滅しようとしている。この飯干小学校の運命は、まさに日本の山村の運命の縮図であった。

 そんなことを考えながらT氏の寂しげな横顔を見ているうちに、私の中にある想いがふつふつと沸き立ち、思わずT氏に突拍子もないことをお願いしてしまった。それは…

次号へ続く

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