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第七十一話 「ラーメン」その名の変遷

ときどき耳にすることがある。「あそこのラーメンはラーメンじゃなかばい。あら『支那(しな)そば』ばい」すると別の人が「バカタレ、そこのラーメンは透明スープやけん、支那そばじゃなか『塩ラーメン』たい。 『支那そば』ちゃ醤油ラーメンの一種で、支那そばやの佐野さんが作りよったアレたい」まあ、そんな会話だが、実は両方まちがっている。~透明スープだから塩ラーメン云々~については、あながち間違いではない(厳密にはもっと細かな説明が必要)が、「支那そば」という名称についての定義は違っている。
 「ラーメン」という麺料理が、その名で呼ばれるようになったのは、日清食品の創業者・安藤百福氏が、世界で初めてインスタントラーメンを考案され、それが「チキンラーメン」という名で世に出た年の昭和33(1958)年以降から(何かの縁か私もその年生まれ)である。それ以前は、東京のラーメンも九州のラーメンも皆「中華そば」と呼ばれていた。事実そのむかし、大砲ラーメンの初代である私の父の屋台にも、暖簾(のれん)には龍の絵の横に「中華そば」と書かれていたし、その頃の写真もある。そしてその「中華そば」は、いつからそう呼ばれるようになったのかと言えば、戦後間もない昭和24(1949)年頃と言われている。それまでが「支那そば」と呼ばれていた。その「支那」という言葉が使われ始めたのは、明治27(1894)年の日清戦争の頃からといわれている。当時の中国は「清」の時代であったが、英国からはすでにChina(チャイナ:秦が語源)と呼ばれており、それを聞いた日本人は「シナ」と発音し、「支那」という字をあてたとされている。やがて昭和24(1949)年の中華人民共和国の成立をきっかけに、「支那そば」を改め「中華そば」と呼ぶようになった。そしてその「支那そば」以前にも呼び名があった。それがラーメンの最初の呼び名といわれている。その名は「南京そば」。実は十数年前、その呼称が記載された最古の資料が、北海道の函館で発見された。それは「南京ソバ15銭」と書かれた明治17(1884)年の小さな新聞広告。これが函館・塩ラーメンの源流であり、そしてその広告主の“養和軒”という店が日本最古のラーメン店であるといわれている。したがってラーメンの名称の歴史を時系列にならべれば、
(1)「南京そば」明治17(1884)年以降
(2)「支那そば」明治27(1894)年以降
(3)「中華そば」昭和24(1949)年以降
(4)「ラーメン」昭和33(1958)年以降~現在に至る 
となる。したがって一口にラーメンといっても、その呼び名は時代と共に変遷の歴史を刻んできたのである。ちなみに、ラーメンの四大文明とされる「醤油ラーメン」「味噌ラーメン」「塩ラーメン」「豚骨ラーメン」は、ラーメンの壮大な(?)歴史の中で、各地域に発生し根ざしていたラーメンを、近年になって研究者やマスコミが分類化し名称をつけたものであり、どこの地域でもラーメンはラーメン。中華そばは中華そばと呼ばれ続けていた。
 ということで、今やラーメンは、RAMENという単語で、外国の辞書にも記載されるまでになり、ついに世界に誇れる日本の国民食となった。
 今回のコラム、読者諸氏のラーメン知識の一助となれば幸いであり、飲んだ後にラーメンを食べるときの話のネタにでもして頂けたら幸甚である。

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