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第七十話 家庭訪問

 日本固有といわれる「家庭訪問」。私も今やそれとは縁遠くなってしまったが、春のその時期が来るたび、私にはいつも思い出されることがある。
 それは私が小学2年の春の家庭訪問のこと。その日、私の女性担任は、このコラムでも幾度となく登場した6畳1間の我がボロ借家に訪れた。ガタガタと音を立てる建て付けの悪い引き戸を開けて、先生は恐る恐る上がりがまちに立った。迎えたのは乳飲み子(私の弟)を抱いた母と私(幸いにもオヤジは仕入れで出かけていた)。母は先生を迎え入れて粗末な茶菓を出したが、先生は何やら落ち着きなく室内を見回している。そこには、部屋の3分の1を領有した一家4人が寝る2段ベッド。家具らしき物といえば腐った畳の上にあるネズミにかじられたタンスのみ。無論テレビはない。唯一の家電はベッドの縁に下げられたトランジスタ・ラジオだけ。その先生は育ちが良かったのであろう、「ここも人の棲む家なのか」とばかりに、新種の深海魚でも発見したかの如き驚愕と探求の目で見回している。
 それに気づいた母は、恥ずかしげもなく、売れないラーメン屋台のこと、酒乱のオヤジに日々おびえながら暮らしていること、この子(私)にはオモチャのひとつも買ってあげられず、小さな黒板ひとつを与えたら、毎日好きな絵を描いて過ごし、何も欲しがらずに楽しんでいる等々を語った。その話を1つひとつ真剣にうなずきながら聞いていた先生は、次第に目頭が熱くなり、やがてハンカチを目に当てて嗚咽し始めた。すると母も、もらい泣き。しまいには大人の女性2人が手を取り合って泣いている。私はその傍らで、ただひたすら黒板に絵を描いていた。
 数日後、学校での体育の時間が始まる前、先生はいつも「このあと体育ですが、体の調子が悪い人はいませんか?」とクラス全員に尋ねる。その日、なぜか私は体育に気乗りせず、思わずその問いに手を上げてしまった。見まわすと手を上げているのは私だけ。「しまった」と思ったがもう遅い。先生は、先日のうちの家庭訪問での強烈な印象が心に深く刻まれているらしく、ものすごく心配した声で「ど、どうしたと!カツキくん?どこがどうあると?」。その先生の勢いに押された私は、つい「腹がヘったので…」と答えると、矢継ぎ早に「朝ごはんは食べたと?」と聞く先生。「あ、いや食べてません。朝ごはんは食べたことがありません」と言う私の返事に、またも先生は目頭が熱くなったようだ。やにわに教壇を下りると、全員に向かって涙声で、「カツキくん以外に、きょう朝ごはんを食べてない人はいますか?」と問うた。すると私以外に2人ほど手が上がった。先生はそれを確認すると、自分の財布から百円札を取り出し、学級委員に渡しながら「学校横の〇〇商店でアンパンを3つ買ってきてください」と指示した。体育の時間は半ば「朝ごはんを食べていない3人」のために費やされた。まわりの級友たちに囲まれ冷やかされながら、罪の意識を感じつつ、黙々とアンパンを食べる私の姿を見ていた先生は、この日もハンカチを目に当てていた。
 そんな思い出である。しかし実に良き時代の良き先生であった。

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