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第百〇九話 もうひとつの熱風録(1)

 以前、このコラムの〈初代熱風録〉シリーズ全7話。有り難いことに大変好評をいただき、たまたまこれを読んだ映画関係者から「このシリーズをストーリー仕立てにして映画化したい」との打診が僕に届くほどでした。その〈映画化〉のはなしは別として、我が家業の過去のエピソード集は、ある意味大砲ラーメンの社史としてのみならず、久留米のラーメン史の一端としても、これは貴重な資料になるのではと思いました。
 そこで〈初代熱風録〉では充分に書けなかった主人公・香月昇の妻、つまり僕の母の話を〈もうひとつの熱風録〉と題して書き綴ってみたいと思います。
 母の名は嘉子、昭和6年生まれです。その母が尋常高等小学校2年(現在の中学3年)の夏、世界史に残る大事件に遭遇しています。それは大東亜戦争(太平洋戦争)末期の昭和20年8月9日の昼前のこと。母の通う農村(長崎県諫早)の小学校はこの日、夏休みの出校日でした。朝礼も終わって掃除の時間、突然村中に空襲警報が鳴り響きました。この空襲のない農村でも、とりあえず生徒たちは防空ずきんを被り、机の下に身を潜めます。やがて空襲警報が解除され、掃除再開。母は、バケツを持って小高い丘の上の校舎から丘の下の井戸まで水汲みに。そのとき母の頭上で爆撃機の音が聞こえてきました。見上げると、自分の真上に銀色に輝く一機のB‐29(当時は小学生でも、その米軍最大の爆撃機のカタチも音も知っていたそうです)がありました。母は「空襲警報は解除されたのに、何で?」と思いつつ見ていると、B‐29は長崎市の方へ向かって行き、やがて飯盛山の向こうに差しかかったあたりで、二つの落下傘(パラシュート)を投下したそうです。母は、水を入れたバケツを持って丘を上り、校庭へ出たそのとき、昼と言うのに目が眩むほどの閃光に包まれました。母は驚きながらも、そのまま校庭を横切り、校舎に入りました。その瞬間、今度はドーンという凄まじい轟音。そうです。それは原子爆弾です。米軍は8月6日、人類史上最悪の兵器・原爆を、初めて広島に投下。さらにその3日後には長崎へ投下したのです。広島12万人・長崎74,000人という20万人近い命が一瞬にして奪われました。そのほとんどが一般市民。これで日本の敗戦は決定的なものとなりました。僕の母は、その悪魔のごとき歴史的瞬間を目撃した生き証人のひとりなのです。母の村は、長崎市から幾つかの山を隔てた僻地であったために、原爆の直接被害は避けられましたが、そこが被爆地の風下に位置していたために、原爆投下直後から真っ白な灰が村中を覆い、収穫を迎えた芋畑も一面真っ白になりました。太陽も、その灰のために真っ赤な火の玉のようになり、野良仕事に出ていた村人を震え上がらせたそうです。その灰は翌日まで降り続いたといいます。それが後にいわれる〈死の灰〉です。14歳のときにその灰を浴びた母は、49歳で乳癌を患いましたが、幸運にも完治し、喜寿を超えたいまでも健在です。
 今回は、直接ラーメンとは関係のない話でしたが、この母の体験は、母の人生を語る上では、どうしても外せないエピソードとして書かせていただきました。