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第九十二話 第六感

 ちょっと前のNHKの朝の連続ドラマ「ちゅらさん」で、こんなコミカルなシーンが何度かありました。~孫のエリーから電話がかかる直前、それを事前に察知したオバアは、じっと電話機を見つめながら「鳴るよー」。その瞬間、電話が鳴り始める。家族が受話器を取ると、受話器の向こうからエリーの元気な声が聞こえる~ そんなシーンだったサー。ほとんどの皆さんは「ありえないけど楽しい場面」という感じで観ていたようですが、僕はそのシーンを観るたびに思いました。「あるある。自分も体験したサー」と。
 昔から「第六感」という言葉があります。そう、人が通常持ち合わせている五感(視・聴・嗅・味・触の五つの感覚)を超えた感覚で、いわゆる「霊感」というものです。「ちゅらさん」のオバアは正にこの第六感の持ち主ということになりますが、残念ながら現代の科学では、そういう感覚の存在は認められていません。しかし、その科学では認められていないはずの感覚を、僕は若いころ何度も体験しました。
 それは今から二〇数年前のこと。僕が二十歳過ぎたくらいでしたか、その日もバンドの練習から下宿に帰り、寝たのが深夜一頃でした。布団に入りウトウトし始めたとき、なぜか廊下の奥の公衆電話(下宿の共同電話)が、まぶたの裏に浮かびました。「鳴るぞ。それも俺あてに」そう思った瞬間、暗い廊下の片隅の電話が突然けたたましく鳴り始めました。僕は躊躇(ちゅうちょ)なく部屋を飛び出し、受話器を取ると・・・、受話器から男のうめき声が聞こえます。よく聞くと僕の名を呼んでいるようです。「か…香月?…オレ…」それはさきほどまで一緒にバンドの練習をしていたT先輩でした。そして「た…たすけてくれ」と。…とにかく僕は車に飛び乗り駆けつけると、Tさんが公衆電話の前で倒れてうめいています。すぐに僕は彼を抱きかかえて車の後部座席に放り込み、猛スピードで救急病院に担ぎ込みました。Tさんの診断結果は急性の結石ということで、命に別状はなくホッとしましたが、あとで思うに、Tさんは猛烈な痛みの中で誰かに助けを求めるときに、頭に浮かんだのは救急車ではなく、親しい僕の姿だったのでしょう。その強い思いが別の場所にいる僕に伝わり、電話が鳴る予感をさせたのだとしか思えません。
 それから一年後のこと。今度は深夜というより明け方の時間帯でした。遅くまで飲んで先ほど寝たばかりの僕が、なぜかフッと目が覚め、またも感じたのです。「電話が鳴るぞ」さらに「俺の家族から」と思ったとたん、廊下の公衆電話が鳴りはじめました。やや朝日が差し込んだほの暗い廊下に駆け出し、受話器を取ると、相手は母親でした。「ヒトシちゃんね?ああよかった」いきなり僕が共同電話に出たので、母はびっくりしながらも、次の言葉が「ウチはガンになったばい。乳ガンげな」。晴天の霹靂(へきれき)でした。そして、この日を境に、僕のプロミュージシャンへの夢は終止符を打たれ、家業であるラーメン屋の道を進むことになるのです(その後母はガンの手術も成功し、お陰様で二〇数年後の現在も元気です)。それにしても、親子の思いも空間を超えて見事に伝わるものです。その後も「電話」に限らず、「人の思いの受信装置」みたいな、霊感のようなものの体験は続きました。しかし年を重ねるごとにその感覚は薄らいでゆき、いまはタダのラーメン屋のオヤジです。ただし「経営」という観点では、経営情報や経営技法以外の「経営の直感」という部分では、何となく、若い頃のその霊感らしきもののカケラが役に立っているのでは?…なんて思ったりするのは、ワタシダケ?
 ということで、「ちゅらさん」のオバア的人間は存在するのです。
 最後に余談ですが、秋の空のごとき「女ごころ」と、それにともなう「災難?」を事前に察知する霊感は、昔から、そして今も僕にはないようです。