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第十八話 幻のラーメン(上)

 突然ですが問題です。
 「初めてラーメンを食べた日本人はいったい誰でしょう?」
 さっそくですが答えです。
 それは・・・「ええい控えおろう!そのかたは天下の副将軍・水戸光圀公にあられるぞ、控え!控えい!」・・・ということで、その答えは水戸黄門でした。
 
 いきなり歴史のクイズで始まってしまいましたが、今回は皆さまを“ラーメンと日本史の世界”へといざないましょう。それは寛文五年(1665)といいますから、今から三百三十五年も前のことです。日本中のお茶の間でお馴染みの、水戸のご老公のツヨーイ家来、あのカクさんは、安積覚兵衛という名の実在の人で、本職は中国語の通訳でした。実はこの人が書き残した文献の中に、水戸黄門がラーメンを食べたという事実が書かれていたのです。当時は“ラーメン”という言葉はなかったので、その見た目から“うんどん(うどん)のごとく”と表現されていました。その“うんどんのごとき”ラーメンを作って黄門さまに献上したのが、明(当時の中国)から亡命してきた儒学者・朱舜水(しゅしゅんすい)でした。そのラーメンのレシピも古文書に記載されており(ちなみに新横浜ラーメン博物館の館内には、その古文書をもとに再現された“日本最古のラーメン”のレプリカが展示されてます)、それに目をつけたのが黄門さまのお膝元・茨城県水戸市のラーメン屋さんの有志たちでした。
さっそく、その有志たちによって“黄門さまが食べたラーメン”をコンセプトにしたラーメンが開発され、やがて水戸市内の各ラーメン屋さんで“水戸藩ラーメン”と銘打たれた新ブランドのラーメンがデビューしました。
 このニュースは、新たなご当地ラーメンの誕生としてテレビなどで取り上げられ、全国に紹介されました。久留米が“とんこつラーメン発祥の地”ならば、水戸は“日本のラーメン発祥の地”というところでしょうか。はたして水戸のまちで一大ラーメンブームが巻き起こるか?と思いきや、それに待ったをかけたのが、九州・柳川でした。
異論を唱えたのは、九州屈指のラーメン研究家H氏。旧柳川藩主立花家の家臣を祖先にもつ氏曰く 「そもそも水戸黄門にラーメンを食べさせた朱舜水の最初の亡命先は九州・長崎であり、その後六年間、朱舜水の九州での逗留生活を支えていたのが柳川藩の儒学者・安東省菴であったという史実がある。やがて水戸藩に招かれた朱舜水が水戸黄門にラーメンを献上したのなら、その前の九州逗留時代、自分の生活を支えてくれた柳川藩の安東省菴もしくはその主君にも、同様の御礼をしたに違いない」というのです。
 当然このH氏の異説にもマスコミは飛びつきました。“東軍・水戸藩と西軍・柳川藩・ラーメン戦国時代到来”こんなノリでテレビ討論の企画が組まれました。戦場は関ヶ原ならぬ、あの久米宏のニュースステーション。水戸市と柳川市にテレビカメラをセットしての生中継。開戦を目前にラーメン研究家の軍師H氏は戦略を練りました。 氏は「水戸藩は例の古文書を盾にして、歴史上のスーパースター・水戸黄門を前面に押し出してくるであろう。多勢に無勢、どうみても相手方軍勢に利がある。よし、それならば我が方は、実在の柳川藩主のご子孫にご出陣願おう。これがかなえば千万の兵を得たも同じ」と考え、世が世ならお目通りもかなわぬ旧藩主のご子孫であるT氏に直訴。あまり乗り気のなかったT氏も、かつての家臣の子孫H氏の切望を無下にも断れず、やむなく承諾。その本陣を旧立花邸お花とし、テレビカメラがセットされました。
 かくして東西ラーメン合戦の火蓋は切られたのであります。