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第十六話  ヒミツのお話・下

ヒミツのお話 その3
 かつて日本料理の世界に、“田村平治”という名料理人がいました。
この人は、豊富な料理経験と神業的な調理技術、そして人としての器、どれをとっても日本料理界の最高峰と謳われた人でした。私事で恐縮ですが、福岡の桜坂に、ある懐石料理店がありまして、実は、僕の弟にそこの店長をやってもらってるんですが、その弟のかつての修業先が田村平治さんのお店、東京のつきぢ田村でした。以下は弟から聞いた修行中のお話。
 ある日、弟は平治さんに訊ねました。「大旦那、なしてそげ~ん食材やらレシピやら、ホイホイ誰(だ)っでんに教ゆっとですか?企業ヒミツでっしょもん。ここん味ばガメラるっですばい」 と、上京して間もないこのイナカッペ青年の失礼な質問と難解な久留米弁に対し、平治さんは怒りもせず、静かな口調で、「知りたいモンにはナンボでも教えたる。しかしな、同じ食材を使って同じレシピで調理をしても、料理人によって味は十人十色なんや。わしの味はわしにしか出せん。また、お前の味はお前にしか出せん。よう聞け、お客さんはナ、料理人の“レシピ”を食べに来はるんやないで。その料理人の“味”を食べに来はるんや」そして、この関西出身の日本料理の大御所は最後に一言、「わしゃあ、その“企業ヒミツ”っちゅう言葉は大嫌いなんや」と。
 これを聞いた弟は、後頭部を出刃包丁の峰で力イッパイ殴られたような衝撃と、温度調節をまちがえて300℃になってしまった天ぷら油よりも熱い感動に見舞われたということは言うまでもありません。平治さんは四年前に惜しくも亡くなられてしまいました。九十歳で逝かれるまで、調理場を終の棲家として最後まで現役を通された平治さんが、日本の料理界に残された足跡はとても偉大なものでした。弟は平治さんから銘入り包丁を頂いた最後の直弟子のひとりとして平治さんへの思い入れがとても深いのでしょう、この話をするとき、いつも目がウルウルしてます。
 
ヒミツのお話・その4
 やっとでましたラーメンのお話。最近、僕と親しくしていただいてる同業の友人(と言っても年上の先輩)に“支那そばや”の佐野さんという人がいます。久留米市民の皆様には記憶に新しい去年のラーメンフェスタ。そう、県内外のラーメン屋さん十店舗が一堂に会し、大盛況だったこのフェスタ会場の中で、最も長蛇の列ができた店の主人として話題になった人であります。 また、テレビ番組・貧乏脱出ナントカにも超キビシイ師匠としてよく出演され“日本一こわい天才ラーメン職人”として話題に事欠かない人でもあります。
 それは一年ほど前のことです。突然フラリと久留米にやって来たその佐野さんを、ウチの店長たちと囲んでイッパイ飲っている時のこと。ラーメン談義に座は盛り上がり、話題はいつしか“味噌ラーメン”になったころです。
 ウチの誰かが「醤油ラーメンもムズカシかばってん、味噌ラーメンもムズカシかですねー」と言ったところ、佐野さんはサラリと、「俺の店は醤油専門だけど味噌もつくれるよ」と言いながら、おもむろにメモをとりだし、サラサラと味噌ラーメンのレシピを書き始めました。そして、「はいこれ。これでつくってみな。この味ならテレビの“鉄人”だろが“チャンピオン”だろがかなわねーよ」僕たち一同、目が点。すかさずウチの店長が、「よ、よかっですか?そげな大切かレシピば・・・。」 またもや佐野さんはサラリと、「レシピをヒミツにしてるヤツに限って、その中身は大したことねーんだ。その大したことなさがバレるのが恥ずかしいからヒミツにしてるだけなんだよ」
スゴイ。スゴすぎる。このスゴイことを、江戸っ子のべらんめぇ調でかるく言いながらやってのける勝海舟のようなこの人を、ガンコな料理人、特に久留米の閉鎖的なラーメン屋のオヤジさんたちが見れば、彼の発言と行動は極めてアンビリバボーで危険な思想の持ち主にしか見えないでしょう(この場に居たのがウチの者だけでよかった)。
 あ、いつの間にかこんなに書いてしまった!もう紙面がない(どころかとっくにオーバーしてる)!でも、もっと書きたい。 「 ヒミツのお話」は今回で終わる予定だったのに来月に繰り越さざるを得なくなってしまった。ゴメンナサイ。
 ところで「上」「下」で終わるシリーズは、次を何でつなげばいいんだろう。