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第八十話 第六感(改)

 昔から「第六感」という言葉がある。そう、人が通常持ち合わせている五感(視・聴・嗅・味・触の五つの感覚)を超えた感覚で、いわゆる「霊感」というもの。ところが残念ながら現代の科学では、そういう感覚の存在は認められていない。しかし、その科学では認められていないはずの感覚を、私は若いころ何度も体験した。
 それは私が20歳過ぎの頃、その日もバンドの練習から下宿に帰り、寝たのが深夜1時頃であった。布団に入りウトウトし始めたとき、なぜか廊下の奥の公衆電話(下宿の共同電話)が、まぶたの裏に浮かんだ。「鳴るぞ。それも俺あてに」そう思った瞬間、暗い廊下の片隅の電話が突然けたたましく鳴り始めた。私は(ちゅう)(ちょ)なく部屋を飛び出し、受話器を取ると・・・、受話器から男のうめき声が聞こえる。よく聞くと私の名を呼んでいるようだ。「か…香月?…オレ…」それはさきほどまで一緒にバンドの練習をしていたT先輩であった。そして「た…たすけてくれ」と。とにかく私は車に飛び乗り駆けつけると、Tさんが公衆電話の前で倒れてうめいている。すぐに私は彼を抱きかかえて車の後部座席に放り込み、猛スピードで救急病院に担ぎ込んだ。Tさんの診断結果は急性の尿管結石ということで、命に別状はなくホッとしたが、Tさんは猛烈な痛みの中で誰かに助けを求めるとき、頭に浮かんだのは救急車ではなく親しい私の姿だったという。その強い思いが別の場所にいる私に伝わり、電話が鳴る予感をさせたのだとしか思えない。
 それから約1年後のこと。今度は深夜というより明け方の時間帯。遅くまで飲んで先ほど寝たばかりの私が、なぜかフッと目が覚め、またも感じた。「電話が鳴るぞ」さらに「俺の家族から」と思ったとたん、廊下の公衆電話が鳴りはじめた。やや朝日が差し込んだほの暗い廊下に駆け出し、受話器を取ると、相手は母親で、「ヒトシちゃんね?ああよかった」いきなり私が共同電話に出たので、母はびっくりしながらも、次の言葉が「ウチはガンになったばい。乳ガンげな」。晴天の(へき)(れき)であった。そして、この日を境に、私のミュージシャンへの夢は終止符を打たれ、家業であるラーメン屋の道を進むことになった(その後母はガンの手術も成功し、30数年ガンの再発もなく、8年前に82歳の天寿を全うした)。それにしても、親子の思いも空間を超えて見事に伝わるものである。その後も「電話」に限らず、「人の思いの受信装置」みたいな、霊感のようなものの体験は続いた。しかし年を重ねるごとにその感覚は薄らいでゆき、いまはタダのラーメン屋のオヤジである。ただし「経営の直感」という部分では、何となく若い頃の霊感らしきもののカケラが役に立っているのでは?なんて思ったりした時期もあったが、最近では毎晩の酒が、それを押し流している気もする。
 最後に余談だが、秋の空のごとき「女心」と、それにともなう「災難」を事前に察知する霊感は、昔から、そして今も私にはないようだ。

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