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第六十七話 初代熱風録(改)(6)

前回からの続き~ 
 先日、福岡に泊まる用事があって、久々に天神の屋台街をぶらりと覗いてみた。週末ということもあってか、どの屋台も満席で、中には長い行列の屋台もある。どうにか空席のある屋台を見つけ、座ってみると周りの客は外人さんが多い。私の隣には何と若い白人女性が2人。聞けばクロアチアから来たという。見知らぬ者同士がすぐに打ち解けるのが屋台の醍醐味だ。ここの屋台も、さながら国際交流の場と化している。酔った私は調子に乗って白人女性の飲食代を奢ったら、やたら喜ぶのでメールアドレスの記した名刺を渡したが、ひと月を経過した今も何の連絡もない。決して下心があっても、それを見せてはいないのだが。話は逸れたが、やはり福岡の屋台は健在である。それどころか、一層の賑わいをみせている。一方、ラーメン屋台発祥の久留米はどうだろう。7年前、映画「ラーメン侍」の撮影のときには久留米にもまだ10数件の屋台が存在した。しかし今現在、わずか6軒しか残っていないと言う。かつて私が子供の頃の昭和30年代から40年代は、久留米中に百軒以上の屋台がひしめき合っていた。今まさに久留米の屋台は「絶滅危惧文化」となって、その灯火は消えつつある。生まれたときから屋台で育った私には、言いようのない寂しさを感じる。
 前置きが長くなったが、本題に戻ろう。時代は遡って昭和40年代初頭の久留米、私のオヤジの話。
 ラーメン作りの腕とケンカの腕っ節、そんなオヤジのキャラは評判を呼び、いつの間にか久留米の繁盛屋台となっていた。ついには何と隣の焼き鳥の屋台まで借り上げ、それを自分のラーメン屋台と連結、誰も見たことがないラーメンと焼き鳥の「ツイン屋台」を登場させたのだ。
 おでん→酒→焼き鳥→酒→ラーメンというヨッパライのハシゴが1件の屋台でまかなえるということで、オヤジのツイン屋台は大ブレイクした。屋台を始めた初日の売上がわずかラーメン18杯だったことを思えば、いまのこの繁盛ぶりは夢のよう。しかし「江戸っ子と私のオヤジは宵越しのカネは残さない」とでもいうか、利益の内部留保という経済観念など皆無のオヤジである。屋台の利益はそのまま酒に化け、オヤジの胃袋の中に消えていった。
 ところが、ドラマで使い古された慣用句「そんな夢のような日々は長くは続かなかった」という事態が発生。突然当局から「道路拡張ならびに歩道整備のため」という名目で、オヤジの屋台に立ち退きの命令が出たのだ。さすがに金剛力士像のにらみも、ケンカの腕っ節もお上には通用しない。ついにオヤジのラーメン人生に最大のピンチが訪れた。 さあオヤジどうする!
 ~次号へ続く

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