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第六十六話 初代熱風録(改)(5)

前回からの続き
 十数年に及ぶラーメン屋台から、昭和42年、ついにオヤジは小さいながらも念願の「店舗」を持つことができた。それがやがて数回の改築・改装を経て現在の大砲ラーメン本店へと繋がる。当時は木造モルタルの、自宅と店舗が併設された2階屋であった。私は小学3年生だったが、今でもその頃のことはハッキリ覚えている。
 その店舗の立地というのは、町の中心部から外れた、空襲で焼け残った町屋の並ぶ古い住宅地だった。屋台であれ“明治通り”という、まち一番の賑やかな商業地から一転、商売に極めて不向きな土地への移転というのは、当然オヤジは承知の上。それなりに覚悟していたに違いない。
 それには、こんないきさつがあったからだ。
 屋台時代、我が家は六畳一間のオンボロ借家住まいだった。その家はとても古く、雨が降るたびに雨漏りとの戦い。狭い部屋のあちこちに空き缶を置いて、その隙間で食事したり寝たりするという家の中のアウトドア生活。梅雨の時期などは、雨漏りの湿気で畳が腐り、そこから白いキノコが何本か生えていた。ある日私は友だちを呼び寄せ、それを見せて「ほら~、ウソじゃなかろうが~。ホンナモンのキノコが、ちゃんと家の中に生えとろうが~」と、それを信じなかった上流家庭の子(現在A幼稚園のF園長)に自慢していた。キノコを見た上流階級の子は思った。「な、何ということだ!ひとの住む家に本物のキノコが生えている。極めて不自然だが、まごうかた無き事実だ。面妖ながらも奇跡の家だ。う、うらやましい!」
 オヤジと母は、腐った畳に生えるキノコを誇らしげに友人に見せる息子が不憫に見えたのか「ヒトシ、待っとれ。そのうちキノコの生えないふつうの家を建てるけん」と心に誓ったそうだ。
 しかし私にとっては、雨の降る夜に聞こえる、空き缶に落ちる水滴のリズミカルな音色は、いい子守歌であり、白いキノコと共に好きな家であった。
 そんなある日、東の空が白み始める明け方、突然けたたましいサイレンの音で私たち家族は目を覚ました。皆で外に飛び出すと、空が炎で真っ赤に染まっている。火事だ。すぐ近くの家がメラメラと音を立てて燃え上がっている。近所の人たちも皆外に出て、心配そうに火の行方を見守っている。母はなぜか枕を抱きしめて立ちつくしていた。私は怖いながらも、慣れ親しんだキノコの家との別れを覚悟していたが、やがて消防の懸命の消火活動のおかげで、何とか火は収まり、家とキノコは焼かれずにすんだ。
 ほっとしながら母を見ると、相変わらず枕を抱きしめたまま。オヤジは母を見て「火事場で枕ひとつ抱えて飛び出すアワテモンの話はよう聞くばってん、お前はホンナコツそれを地で行っとるにゃ~、しかもそれは俺の枕ばい。げさっか~」と大声で笑い、近所の人たちもつられて笑っていた。皆から笑われた母は、何かを押し隠すようにただ苦笑いするだけであった。
 しかし、実はその枕が、その後の私たち一家の危機を救ってくれるのだ。
 ~次号へ続く

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