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第十二話 「ラーメンの鬼」逝く

 4月のさわやかな風が、川辺の花たちを優しくゆらしています。空の青を映えさせながらゆったりと流れるその川の向こうに、その人は行ってしまいました。
 その人とは支那そばや店主・佐野実さん(連日の報道で皆さんもご存知かと)。享年63。偶然とはいえ、先月に引き続き今月もシビアな話になってしまいますことをお許し下さい。
 私の会社には製麺の部門があり、17年前のある日、ちょっとした巡り合わせで、製麺に使用する「モンゴル産かんすい」を佐野さんから分けていただくことになりました。それが佐野さんと私との出会いです。その後私たちは次第に親交を深めていき、2年後には久留米で開催された第1回ラーメンフェスタに「支那そばや」を出店していただきました(それ以降のフェスタにも度々)。やがてあの高視聴率番組「ガチンコ・ラーメン道」に「ラーメンの鬼」として出演するや、佐野さんの顔と名は全国に知れ渡ることとなったのです。ちなみにラーメン道・第1期生には、若い頃のうちのO営業部長もおりました。以後の佐野さんの活躍とラーメン界に与えた影響と功績は計り知れません。佐野さんは、ともすればジャンクフードと揶揄されがちだった「ラーメン」を、立派な「料理」にまで高めました。佐野さんの唯一の趣味は「全国の食材探し」。私のもとにも度々珍しい食材を届けていただき感謝しています。本人曰く「俺は『ラーメンの鬼』というより『ラーメン食材の鬼』なんだよ」。そんな佐野さんのご逝去直後の報道では、白いコック服の元祖腕組みラーメン職人の声として、懐かしい数々の「佐野語録」が紹介されました。「ラーメンは男と女なんだ。麺が男でスープが女。仲良くまとまってるべきなんだよ」「勉強しないガンコはだだのワガママ」「レシピを隠す奴ほど大したレシピ持ってない」「塩を使うなら、海の食材には海水塩。陸の食材には岩塩がいい」等々、幾度となく佐野さんと飲んだ私にも色々とご示唆いただき、有り難い限りでした。
 ところが今年の2月27日の朝、突然佐野夫人から電話がありました。聞くと佐野さんの病気が悪化して良くない状態。現在ICUで緊急処置を施しているとのこと。その時私は出張のため名古屋へ向けて移動中でした。到着後、先に私を待っていたO営業部長(元ガチンコ1期生)に事のあらましを伝え、翌日早朝O部長と二人、名古屋から新幹線で佐野さん夫婦の待つ川崎の病院に向かいました。佐野夫人と娘さんの案内で厳重なICUに通されると、そこに佐野さんがいました。種々の医療機器に囲まれて身体中にチューブが射込まれ、本人はというと・・・、これ以上の描写は避けます。佐野さんはうっすらと意識はあり、か細い声で言いました「おう、どうしたんだ」。大きくむくんだ佐野さんの右手を私は両手でつかみ、溢れそうになる涙を懸命にこらえ、無理に笑顔をつくり・・・「たまたまイベントで近くに来たけん。佐野さん、早く良くなってまた一緒に飲もう」。O部長も手をにぎっています。ガチンコ時代の思い出が巡っているのでしょう彼もまた涙を押さえるのに必死の様子。面会が許されたのはわずか10分。帰り際、私は佐野夫人に何気なく聞きました「しおりちゃん、佐野さんと結婚してそろそろ10年くらい?」すると夫人は「実は今日が結婚10年目の記念日なんです」と。何ということ。私が佐野さんにしおりさんを紹介し、そして結婚ということになり、2人の婚姻届の証人欄に私が署名・捺印したその日が、正に10年前の今日だったとは。ガチンコのO部長が見舞いに同行できたことも含めて偶然とは言い難い何かを感じました。
 それから佐野さんは少し持ち直したかに見えましたが、緊急入院からちょうど2ヶ月目の4月11日未明、ついに力尽きてしまいました。日本のラーメン界に大きな足跡を残した佐野さんを、天は無慈悲にも召し上げました。
 しかし日本中、いや世界のラーメンに係るすべての人たちが、佐野実さんに感謝し、ご冥福を祈っています。