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第九話 儀右衛門ラーメン

 私が小学5年生頃でしたか、NHKで「からくり儀右衛門」という連続ドラマが放送されていました。何気なく観ていると、どうも聞き覚えのある色んな名が聞こえてくるのです。五穀神社・通町・井上お伝・・・等々。それは私が当時住んでいた家(今の大砲ラーメン本店)の周辺にまつわるものばかりです。そして主人公は、のちに「東洋のエジソン」とよばれる天才発明家、からくり儀右衛門こと田中久重。その生家が、なんとウチのすぐ裏というのです。私は幼いながらもそのドラマに引きつけられ、毎回楽しみに観入っていたのを覚えています。
 ドラマの初期の舞台は幕末期の久留米・通町十丁目とその界隈。主人公の儀右衛門は幼い頃よりからくり仕掛けに興味を持ち、長じて、生家近くの五穀神社の能舞台などで、自らが考案した世にも珍しい「からくり人形」を披露し、大好評を得ていました。やがて儀右衛門は久留米を飛び出し、上方では空気圧搾式の灯油による灯明や、革新的な和時計など考案。なかでも国内最高の、精密機械技術と天文学、さらに日本の優れた工芸技術が融合した「万年時計」は、世界にも類のない日本の至宝といえるでしょう。そして儀右衛門の名は日本中に知れ渡るところとなり、それを耳にした佐賀藩主・鍋島直正は久重(儀右衛から田中久重に改名)を藩に招聘。そこで久重は、日本の幕末・維新期の戦の場で大きく貢献することとなる、初の国産蒸気船とアームストロング砲を完成させています。特にアームストロング砲は、従来の先込め式青銅砲(火薬と丸い球状の弾を砲身の先から入れて撃つ銅製の大砲)と違い、元込め式椎の実型砲弾の鉄製砲(砲身元のハッチ状のフタを開き、先の尖った形の弾と火薬を装填して撃つ鋼鉄の大砲)です。さらにこの大砲の砲身内には、らせん状の溝が幾条も彫られており、それが弾に回転を与えます。よってその威力・飛距離・連射速度、すべてにおいて旧式砲を凌駕していました。晩年になっても久重の発明家魂は衰えることなく、なんと75歳で上京し、現在の東芝へと繋がる田中製造所を興しました。 
 少々解説、特に大砲のくだりがくどくなってしまいました。しかしワタシは大砲ラーメン。しかも久重が若い儀右衛門時代に、活躍の舞台であった五穀神社の前で長く商いをさせてもらっております。ちなみに、昨年11月30日から明けて1月16日まで、石橋美術館で開催された「からくり儀右衛門展」。その開催期間、大砲ラーメンでは本店のみ、コラボラーメンを出させていただきました。名付けて「アームストロング大砲ラーメン」。その内容は「豚の背脂」と「牛脂」をブレンドした初の香味油で「東洋文化と西洋文化の融合」を表現し、黒マー湯で黒金(鋼鉄)、煮玉子をそのまま乗せて椎の実型砲弾をイメージ。もうひとつ、チャーシューの代わりの「牛と豚の合い挽きミンチ」に、鉄分の王様「ほうれん草」を添えてみました。コレが以外と好評で、自分でも満足のいくラーメンでした。
 取り留めのない話になってしまいましたが、最後に儀右衛門がらみでもうひとつ。本店の斜向かいには、久留米絣(かすり)の始祖「井上お伝」の生家跡があります(私が小学生のころまでその町屋が現存していた)。実はそのお伝さんと絣の織機を考案したのも儀右衛門だったのです。おそるべし五穀神社界隈。ところでその五穀神社前の細い道、昭和通りに沿った北側のこの道は「食の繁盛通り」とも呼ばれているのです。まず1番東にはアイス業界全国区の「丸永製菓」さんがあります。そして道を挟んで洋菓子界の重鎮「銀のすぷーん」さん。すこし西に進んで右手にくだんの五穀神社を見ながら、左手には(恐縮ながら)ウチの本店。右手には「井上お伝生家跡」。さらに西に進み、3号線を超えれば右手に老舗和菓子店「お伝せんべいの筑水堂」(店主の娘さんは現役のタカラジェンヌ!)。さらに進んで螢川には食通も唸る超繁盛店「ナカツル」&「中津留」。先にはこれも全国区の「梅の花」さんが開業初期に立ち上げた「かにしげ」さん。さらに明善高をすぎて梅林寺地下道をくぐり、長門石橋を渡り、さらにさらに進んでこの道のどん詰まりには・・・!ウチの長門石店があったーっ!(誠に誠に恐縮)これが、久留米の歴史満載の食の繁盛通りコースでした。「歴史あるまちに食文化あり」ですね。