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第二十五話 新横浜ラーメン博物館に久留米の風

 前回のコラムにも登場したご存知「新横浜ラーメン博物館」、先日ここに“久留米ラーメン”と銘打った「魁龍(かいりゅう)」という店がオープンしました。久留米の皆さんでこの店名を知る人は少ないでしょう。
 実際この店の本店は、久留米ではなく北九州の小倉にあります。それではなぜ“久留米ラーメン”なのか? 実は、この店の先代店主が元々久留米の人で、「幸陽軒」(久留米の文化街付近に昭和二七年から四十年まで存在していた幻のラーメン店)の出身なのだそうです。この「魁龍」の特徴は、超コッテリ豚骨というか、ここまで濃度の高い豚骨スープは久留米にも見あたりません。
 しかし、久留米のラーメン独特のあのニオイはきちんと漂っております。
 新横浜ラーメン博物館の魁龍も、のれんをくぐると、その店内には懐かしい“久留米のニオイ”が充満しており、館内の全国のラーメン店ひしめく中で、その存在をしっかりと“発散”させておりました。天下のラー博出店、しかし羨ましいなァ。ホントは、僕もラー博出店が長年の夢でした。今では新横浜随一の観光スポットといわれるこの施設がオープンしたのが七年前のこと。当時博多代表として館内店舗に選ばれた一風堂の河原さんからのお誘いで、僕は初めてラー博を訪れたのですが、そのときの感動は今でも忘れません。館内のラーメン店に並ぶ幾筋もの長蛇の列も圧巻でしたが、何と言っても“ラーメン”の“博物館”というテーマそのものの斬新さに驚嘆しました。
 地階は、壁一面にディスプレイされた全国ラーメン店の丼やらラーメンに関する様々な展示物、そして地下に下りると全国の有名ラーメン店たちを取り囲む、見事に再現された昭和三十三年の夕焼けの町並み・・・。このラーメンをエンターティナーにした天才的演出を目の当たりにして、僕はまさに“目からウロコ状態”でした。
 でも、同時に思ったのが「九州の豚骨ラーメンの代表で博多と熊本が選ばれとるばってん、なしてそのルーツである久留米のラーメン屋がここにないとやろうか?」ということ。そして、当時から“ラーメンによる久留米の町おこし”構想を密かに抱いていた僕は、「久留米のラーメン屋は何ばしよっとかいな?豚骨ラーメン発祥の町のくせに、博多ラーメンや熊本ラーメンの陰で目立たない久留米のラーメンの名が、ここに出店できれば全国に広まることは間違いなか・・・。もうよか、いつかウチがここに出てやろう・・・いや、出たい。いや、出していただきたい・・・出れたらイイナァ。」と、イキナリ片思いの恋に取り憑かれた三十六歳の怪しいオヤジのように、ラー博の人波に揉まれながら独りつぶやいていたのを憶えています。
 その後もラー博は、次々と新しいラーメンブームを創り出し、今や屈指の“ラーメン情報の発信基地”として全国にその名を轟かせていますが、未だその施設内には久留米のラーメン店の姿はありませんでした。
しかし突然此度の「魁龍」のラー博出店話。この噂を僕が耳にしたのが今年の一月でした。魁龍といえば、そのオーナーの森山君とは去年、一風堂の河原さんの紹介で知り合い、一杯飲みながら互いに意気投合し、付き合いが始まったばかりでした。力一杯ショックでした。七年におよぶ片思いの恋に落ちていた怪しいオヤジは、イキナリの間男(失礼、でも実際ヨカ男です)の出現で、その恋に幕を下ろされ、奈落に落ちてしまいました。
 そんな、失恋の痛手に眠れない夜が続くある日、ラー博の岩岡館長が突然、久留米の僕の店に現れました。館長は「K(僕)に今回の出店決定に至るまでの経緯(なんと最終選考まで僕のTラーメンがその候補に残っていた)の説明をしたい。そして、町おこしを頑張ってるKをねぎらいたい」という思いで、わざわざ久留米まで来てくれたのです。有り難いことです。そんな館長の人柄に触れて、僕は吹っ切れました。どうも僕は道を誤りかけていたようです。「僕にとって、ラー博出店の目的が本当に久留米の町おこしであれば、それは僕のTラーメンでなくてもいいはず」このことに気づかせてもらうまでの僕は「我欲」と「使命」の違いを理解出来なかったようです。またもや“目からウロコ”でした。
 いま僕は“久留米ラーメン”の看板を背負って関東に単騎出陣する魁龍を心から応援したいと思っています。 今月(七月)十一日、魁龍は華々しくラー博デビューを果たしました。このコラムを書いている今現在、僕のTラーメンの店長たちは・・・実はラー博にいます。 彼らは今、オープニングパニックでごった返す魁龍を、懸命に手伝っています。

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