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第百十一話 木鶏たりえず

 40年ほど前、私は上京するまでのある時期、唯一の楽しみは渓流釣りであった。当時高校生だった弟も、私の影響で釣行を共にしていた。ある日の深夜遅く、釣り場で食べる弁当を弟と2人で作っていた。当時はコンビニもほとんど無く、母は日々の仕事で疲れているので、「自分たちの道楽の最中のメシくらい自分たちで作らにゃ」と、台所(現在でいう本店の2階)でせっせとおにぎりを握っていた。すると、窓の下から何やら人の声がする。よく聞くとか細い男性の声で「すみません・・・」と聞こえる。窓を開けて暗い通りを見下ろすと、薄暗い街灯の下で、くたびれた服装をした痩せ型のオジサンが私たちを見上げていた。やや気味悪さを感じながらも「どうしました?」私が尋ねると、「腹が減って難儀しております。食べ物を恵んでいただけないでしょうか」と言う。昔の町の静かな深夜である。ささやくような声でもよく聞こえる。私は弟と顔を見合わせた。「いったい何者やろか?下からは俺たちの頭は見えても、何をしょったか分からんはずやろ」「ほんで、あん人は地元の人じゃなかばい。久留米んモンは『難儀しております』ちゃ言わんやろ『おーじょしとります』やろ。」なんのかんの言いながらも、結局私たちはおにぎりを2個ほど何かに包み、街灯の薄明かりの下で手渡した。そのオジサンは涙を流さんばかりに喜び、「このご恩は・・・」と、何度も頭を下げながら、五穀神社の鳥居の方に去って行った。

 当時の私は、この不思議な深夜の出来事で、何かとても良いことをしたような、人助けをしたような気分に浸っていた。やがて「オヤジの恩返し」のようなものを期待し始め、その後、何年経っても何の連絡もないことに憤りさえ感じていた。いま思えば、それは見返りや対価を求める卑しき心なのかも知れない。しかし、アタマでそれは解っていても、1点の卑しさのない生き方を身につけるのは、この歳になっても中々難しい。

 先日、私が好きなYouTubeのある釣りチャンネル宛に、いつもほのぼのとした気持ちにさせていただくお礼にと、ウチのカップ麺を1ケース送らせていただいたのだが・・・・・。

 〜我いまだ木鶏たりえず〜 である。

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