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第七十四話 道案内ネコと山のガイド犬

 数年前、長大に行った息子の生活の状況を確認するために、私は抜き打ちで長崎を訪れた。というのも、「学費と月額5万円の仕送りはするが、それ以外のカネはバイトで稼げ。更にそのバイトは飲食店の厨房内に限る」という私の指令を守っているかを確かめたかったのだ。結果として、学業は全て単位が取れていて、バイトの方も居酒屋で焼き場を任されていた。煙に包まれながら、息子が焼いてくれた焼き鳥に満足した私は、せっかく長崎に来たのだからと、翌日は軽く長崎を観光することにした。
 長崎といえば幕末の舞台でもあり、私の好きな坂本龍馬ゆかりの地でもある。翌日私は龍馬が設立した日本初の株式会社である「亀山社中」に向かった。ところがその場所は、私が立つ中島川から細く入り組んだ長い石段を登りつめた先であった。私はその石段の途中でさっそく迷ってしまった。困り果てていると、いきなり傍からチャトラのネコが1匹ヒョイと現れ、私の顔を見て一言「ニャン」と鳴くと、二又に別れた石段の片方を登り、こちらを振り返った。私は取りあえずネコについて行くことにした。ネコは石段を登っては振り返りを繰り返す。そしてついにそのネコは「亀山社中資料展示場」前に案内してくれたのだ。感動した私は、お礼に頭でも撫でてやろうとしたが、ネコはそのままどこかへ行ってしまった。私は今でも長崎を思い出すとき、亀山社中よりも焼き鳥を焼く息子の姿よりも、その「道案内ネコ」の印象が最も強い。ちなみに長崎はネコのまちで、尻尾が短く折れ曲がった昔ながらの「日本ネコ」が多く住む地域でもあるらしい。道案内ネコもやはりその容姿であった。
 もう1つ、私には「山のガイド犬」の思い出もある。それは昔、私が20代前半で、初めて久住山に登ったときのこと。季節は雪もまだ残る早春。私は久住登頂を果たした後、九州最高地の温泉「法華院温泉」を目指して、長い急な登山道を下っていた。足元に注意しながら慎重に歩いていると、ほぼ直線の登山道のずっと下から何やらこっちに向かってくる1匹のケモノがいる。「ん?」私は色々考えた。「今の九州には狼もクマも絶滅していないはずだが、もしかして野犬か」ソレは段々と近づいてくる。「やはり犬だ。深山に暮らす野犬だ」私は立ち尽くした。やがて「野犬」は舌を出しハッハッと息を吐きながら軽やかな足取りでやって来て、すれ違いざま私をチラッと見ると、そのまま上方へ去っていった。「何のためにこんな所で・・・。そういえば首輪をしていたな」その不思議な犬に興味を覚えた私はその後調べてみた。するとその犬は「平治号」という名の日本初の山のガイド犬で犬種は秋田犬。何人もの遭難しかかった登山者を山小屋に案内したり、下山を助けたりと、多くの登山者の命を救った名犬であった。私はその名犬とすれ違ったのである。次は平治号に会うことを目的に久住に行こうと決めた。しかし瞬く間に時が過ぎ、再び私が久住を訪れることができるまでに約10年の時が流れてしまった。ところが長者原の登山口に行くと小高い丘に犬の銅像が立っている。それは平治号であった。聞くところでは、高齢となった平治号は、ある日登山客をキャンプ場まで案内したのち力尽き、そのまま息を引き取ったという。私は胸が締め付けられた。その後、平治号を書いた書籍や、映画が世に出された。しかし、本物の平治号とすれ違い、目を合わせた私は映画を観る気にはなれなかった。