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第七十二話 「商売」兄弟の棲み分け

 周囲から聞いてはいたが、地元テレビにレギュラー出演している弟の姿を、先日初めて観た。それは主婦向けの簡単料理を、日本料理人として独自に考案し、紹介するというコーナーであった。「天才料理人」というテロップと共に白衣姿でカメラの前に登場した弟を見た私には心によみがえるものがあった。それは30数年前の私が20代半ばの頃。そろって大病に見舞われた両親を目の当たりにした私は、家業のラーメン店を継ぐ決心をした。そのとき弟はまだ高校生であったが、2人っきりの兄弟、その将来の計画を真剣に話し合った。

 私は提案した。「俺はこの家の長男やけん、家業を継ぐ。それで相談やけど、お前はラーメン以外の料理の修行をやらんか?」と。というのは、親が残したひとつの暖簾を兄弟姉妹で奪い合う泥試合を、同業異業に関わらず私は幾例もみてきたからであった。どれほど仲の良い兄弟でも、やがてそれぞれが嫁をもらい、家庭を持つ。そしてその家庭家庭で新たな価値観が芽生え始め、兄弟間でそこに差異が生じる。更に嫁たちの仲が良くなければ最悪で、ついには実の兄弟同士で骨肉相食む争いとなる・・・。これがその構図だ。弟が生まれたのは私が6歳のとき。私はラーメン屋台で忙しい両親の代わりに、弟の親代わりの感覚で過ごしてきた。弟も私に素直に懐き、2人仲良く育ってきた。そんな兄弟の仲が何かの理由で引き裂かれてしまう、そんな事態になることだけは避けたかったのだ。

 弟は私の提案に素直に応じてくれた。そして自らは日本料理の道に進むことを決めた。高校を卒業した弟は、福岡の調理学校を経て、地元の老舗高級料亭で修行を始めた。数年後、その料亭の紹介で東京・築地にある、日本でも1、2といわれる日本料理の名店に入店。その間、宮中晩餐会の出張料理などを経験し、通算10数年に及ぶ日本料理修行ののち帰郷した。経歴を書くのは簡単だが、当時の修行の辛さ、特に東京でのそれは筆舌に尽くし難いものがあったという。東京の店の同期入店者は10数人いたが最後まで逃げ出さなかったのは弟1人だけであったらしい。修行中、弟はよく私に言った「刑務所に入った方がよっぽど楽かも、と思うときがある」とか「兄ちゃんやったら3日も続かんばい(私も舐められたものだ〈笑〉)」と。そんなことを聞くたび「あの時の私の提案がこんなに弟を苦労させている・・・。これで良かったのか」と、考えたものだった。

 現在、弟は福岡・西中洲で「温坐(おんざ」という懐石料理店のオーナーシェフとして天才料理人の名を欲しいままにしているようだ。そして私たち兄弟は、いまでも毎年恒例の「北海道イトウ釣り」を楽しんでいる。