ラーメン今昔物語(31)  −昔ラーメン誕生秘話 その1− 

ラーメン屋のH.K 
          
 僕の店に“昔ラーメン”という名のラーメンがあります。僕が営むTラーメンは、昭和28年久留米の片隅の小さな屋台からスタートしました。 創業者はこのコラムの記念すべき第一作にも登場しました町の名物男“ラーメン界の星一徹”こと僕の父であります。
“昔ラーメン”は、その頃の“狂ったように元気がよかった”父の在りし日の姿を思い出しながら、二代目の僕が当時の父のラーメンを現代に復活させたというものです。5年前の発売以来、なぜかこのラーメンの人気には既存のラーメンをしのぐ 勢いがあり、いまやTラーメンの看板商品となった観があります。

 しかしながら!この父の魂でも宿っているかのような大ヒット商品となったラーメン。その開発の陰には様々な苦悩があり、 また、このラーメン誕生と共に色んな物語が生まれた・・・(ここでNHKのプロジェクトXのテーマ曲スタート)。
  九州のラーメンは今から半世紀ほど前、久留米の町から一斉に産声をあげました。由来は久留米は九州(または豚骨)ラーメン 発祥の地とされております(このコラムの読者諸氏には耳にタコですね、感謝)。現在の豚骨ラーメンの原形は、当時の久留米においてすでに確立していたようですが、今回その時代の父のラーメンを再現するにあたり、僕の前にはいくつかの障害が待ち受けていました。麺の開発に関しては、当時も今も形状(太さ・加水率・ストレート麺)には 大きな変化はありません。といいますか、小麦粉の質や麺の製法が当時よりも格段と向上していて、麺そのものの品質においては、現在の方がはるかに高いもの(まして現在のウチの麺は自家製で昔は外からの仕入れ)になっています。 資料館展示用のラーメンではないので、味を落としてまでの再現は不本意です。したがって、麺に関しては 「昔ながらの形状を守りつつも、その品質(味・食感)は更に向上させる」という方向で決まりました。

  次はスープ。創業当時から父のスープには何ともいえない“独特の香ばしさ”があり、そのスープには通称“カリカリ”という 名のクルトンのようなものが浮いていました。実はこのスープの香ばしさは、スープに溶け込んだ“手作りラード”から 醸じだされるもので、“カリカリ”はそのラードを作る際にできる副産物、いわゆる豚脂の揚げ玉です。 ラーメン業界には早い時期から加工された市販のラードが出回りはじめ、現在ほとんどのラーメン屋さんはこれを使って いますが、父はずいぶん長い間、自分のラーメンに入れるラードは自分で手作りしていました。 といっても当時は全家族が労働力という家内制手工業です。僕が小学生の頃は、肉屋から仕入れた豚の背脂の塊を、 せっせと基盤の目に切るというラード作りをいつも手伝わされていました(悲しきタダ働き)。
  そんなガンコ職人の父も、味のライト化志向という時代の波には逆らえなかったようで、いつの間にかこの手作りラードは Tラーメンから消えてしまいましたが、“昔ラーメン”のスープの決め手は、この“カリカリ”の浮いた手作りラードの 再現に掛かっていました。

  ところが、この手作りラード(昔ラード)の調理技術を持っているのは、僕と、父の最後の弟子と言われた本店のI店長だけです。この技術を全店の全正社員(当時5店舗・正社員数約30数人)に伝授しなければ なりません。正社員たちの技術習得までの時間には個人差があり、拾得の一番遅い社員に合わせると、せっかく完成した商品も発売がいつになるか見当もつきません。かといって未習得の社員を残したまま、発売の見切り発車を することは、不良品を販売することと同様、絶対に許されません。

  そこで僕は考えました。「昔ラーメンそのものを コンセプトにした新ブランドのラーメン店を作ってしまおう。昔ラーメンは、その店限定の看板商品にすればいい」と。
  かくして、一つのラーメンが、ついに一軒の店舗を生みだすことになったのです。やがて屋号が決まりました。 名はTラーメン「昇和亭(しょうわてい)」

−次号 乞うご期待−