ラーメン今昔物語  9月10日改稿  
- ヒミツのお話・もういっちょ--

ラーメン屋のH.K 
          
 前回のコラムで、ラーメン界の鬼才・佐野さんのエピソードを書きました。実はその直後、ある広告代理店のお世話で、その佐野さんご本人と、博多一風堂の社長・河原さんを久留米にお迎えし、僕を加えた三人で一席設けていただきました。一風堂の河原さんと言えばご存知の方も多いと思いますが、テレビのラーメン職人王選手権で三連覇されたラーメンチャンピオンであります。かたや佐野さんも前述どおり、貧乏脱出大作戦の名物師匠。この日本のラーメン業界をリードする東西のカリスマ二人が会したその席を、もしラーメンフリークが知れば、まるで“豪華二大スタア垂涎の宴”でありましょう。僕も、このお二人とは久しくお付き合いさせていただいてるおかげで“とりあえずの久留米代表”ということになり、その末席に加えていただきました。このメンバーです。話の中身は、言わずもがなの“ラーメン談義”。  
  〜 以下は、三人の会話(敬称略)〜

河原: 「佐野さん、いまラ博(ラーメン博物館)で出しとうラーメンはどんな作り方しようと?」 (ひそかにサグリをいれるチャンピオン)
佐野: 「そうねー麺はね、国産の小麦粉にイタリア産デュラム(小麦粉の一種)をまぜて打ってる。コレですごくコシが出る。カンスイはTラーメンのK君(筆者)も使ってる匂いの少ないモンゴル産だね、これは麺生地が滑らかになる」
H.K : 「そう、そう」
河原: 「ほー、デュラムねー、オモシロかねー。それでスープは?」(誘導尋問が得意なチャンピオン)
佐野: 「スープは“トリプル”でやってる。まず、烏骨鶏や名古屋コーチンなど、全国各地から取り寄せた五種類の地鶏でとったスープ。次に、とんこつの清湯(ちんたん:白濁させない澄まし仕立て)スープ。そして、羅臼昆布や土佐の鰹節、その他諸々の海産物でとった和風ダシ、これも各地へ出向いて吟味して取り寄せたものでね。この三つのスープをブレンドして、一杯のラーメンスープに仕立ててる。」
H.K : 「ほう、ほう」
佐野: 「ところで河原さん、最近一風堂は味噌や醤油をやめてとんこつ一本になったみたいだけど、なんで?」
H.K : 「そう、そう」
河原: 「それはね、とんこつのラーメン屋としての原点に帰りたいと思ったと。とんこつスープの基本をもう一度じっくりと見つめ直した上で、今のスープを一層進化させたい、そんな思いで、とんこつ一本に絞り込んだと」
H.K : 「正解、セーカイ」
河原: 「それで、実はウチもスープはダブルでとっとる。ばってんウチの場合二つ共とんこつで、部位(スネ・バラ・アタマなど)で分けてブレンドしよったい。それとK君が得意な久留米とんこつスープの伝統的なやり方“呼び戻し(前日の古いスープに。きょうの新しいスープをつぎ足して味を調えるやり方)”も研究しよるっちゃん」
H.K : 「ありゃ、いつのまにー」
河原: 「K君、さっきから相づちばっかりやないね。なんかしゃべりやい。」
H.K : 「そーやね・・・(以下略)」  

このあとも延々と互いの“ヒミツのレシピの大公開”で盛り上がっていきましたが、今回僕が一番印象に残ったのが、以下の佐野さんのことばでありました。

佐野: 「ガンコな職人でも、勉強しないガンコはダメだナ。勉強熱心な弟子に追い越されるのがコワイから何も教えねーんだ。オレはいつも弟子たちに言ってるよ。すべて教えてあげるけど、オレと同じものは絶対できねえ。でもオレを越えるものはできるってね」  

  ・・・と、まあ今回この“ヒミツのお話”シリーズを三ヶ月に渡ってエピソードを五つ書かせていただきました。もう皆さんはお気づきと思いますが、僕が言いたかったのは、単に「とにかく秘密は良くないから相手かまわずノウハウを教えまくろう」ということではありません。実際、長年苦労して築きあげた高い技術を持つ練達の老職人が、その素晴らしいノウハウを入門したばかりの弟子に無節操に与えることはありません。
たとえば、自分でラーメン屋をしたいと思っている若者が、とりあえず支那そばやとか一風堂などの有名ラーメン店に潜り込んで、手っ取り早くノウハウを盗み取って短期間で独立開業しようとしても、それは不可能でしょう。そんな弟子の肝など、佐野さんも川原さんもすぐに見抜いてしまいますし、仮に、そんな弟子が師匠の忠告を無視してたとえ開業したとしても、その店は永くは続かないでしょう。師匠が弟子に“最高の秘伝を伝授する”ということは、その弟子の“心の器”とその“時期”を見極めて、はじめてなされるべきものです。その“心の器”とは、まず「本質を見抜く目」を備えているか?ということ。それは、小さな技術や簡単な作業の裏に隠された深い意味と、その技術を確立するまでの、師匠や多くの先輩たちの苦労を感じ取る心を備えているかということ。そして、自分を育ててくれた両親を含む周りのすべての人たちに「ありがとう」という感謝の気持ちが、その弟子の心に自然に備わっているか?また、その心を一生宿し続けるだけの器量があるかということです。川原さんも言ってました「親に心から“ありがとう”と言えない奴が、店を出してお客さんに心から“ありがとう”が言えるか?」と。そして師匠が最後の秘伝を伝授する、その“時期”とは、弟子が目指す「独立したい」または「一流になりたい」という心の中の目標が、“欲望”から“夢”に変わったときです。“欲望”は自分本位です。“欲望”で目標を達成した人の陰には必ず何人もの傷ついた人たちがいます。“夢”で成功した人は、本人も気づかないうちに、周囲の人たちを幸せにしています。弟子が本当の意味でこのことに気づいたときがその“時期”でしょう。血気盛んな若い時代には、なかなか難しいものもありますが・・・。

  長くなりましたが、やはり「与える人」と「与えられる人」ではなく、「与えさせていただく人」と「与えていただく人」という両者の思いやり、この調和が一番大切な心のルールということですね。
  今回の五つのエピソードの主人公たちは皆「両者の思いやり」という名の心のルールを大切にし、それを一生貫こうとする「信念」という共通の“ヒミツの「心のレシピ」”を持っていました。  

-ヒミツのお話はこれにてオシマイ。   
次号も乞うご期待-