

| 久留米を日本のラーメン処に | |||
| 初めてラーメンがまちおこしの主役になったのは、昭和六十年代のこと。喜多方ラーメンに始まり、佐野、旭川、和歌山と次々に地方のうまいラーメンが脚光を集め、まちのイメージアップや観光客動員に貢献しています。 久留米が全国に誇れるもの―ブリヂストン、久留米餅、花火大会・・・・ そして、何より久留米には“とんこつ文明”があります。近年、全国的にブームになっているとんこつラーメンですが、その発祥の地は久留米。ラーメンが『支那そば』と呼ばれていた戦前から、久留米にはいくつかのラーメン屋台が並んでいました。 久留米のラーメンには半世紀以上もの歴史と、ラーメン三大文明(とんこつ・味噌・しょうゆ)の中の一つ、とんこつ発祥の地という輝かしいエピソードがあります。「久留米を日本一のラーメン処に」その動きは、着々と進んでいます。久留米インターチェンジが大渋滞し、西鉄久留米駅にもJR久留米駅にも人がわんさか溢れかえる。ラーメンマップ片手にまちのラーメン屋さんをハシゴする観光客の姿も、あちこちに見られる日がやってくる。 平成十一年秋、ラーメンが久留米復興の起爆剤になりました。 |
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| その動きは七年前から始まった。 | |||
| 今からおよそ七年前、大砲ラーメンの香月均は考えました。 「久留米のラーメン屋のオヤジさんたち、どうしてこんなにまとまりがないんだろう?」嫌な言葉ですが、俗にいう『久留米商人』の典型みたいな人たちが「うちのラーメンだけがうまい」と自認して、店を孤立化させていました。 「このまちでラーメン屋を営んでいけるのは、食べにきてくださるお客さまのおかげ。 そして、ラーメン屋を育ててくれた久留米のおかげなんだ。一軒より二軒、二軒より十軒、店ごとの個性を尊重しあって、まちのラーメン屋がまとまれば、きっと久留米のラーメン業界はもっとよくなっていく」それが香月の考えでした。 以降、数々のラーメン屋さんへのラブ・コールが始まりました。 「一度、会って話がしたい」胸のうちを伝えるのに、電話で相手にされなければ手紙を書いて、フラレてもフラレても七転び八起き、めげずに仲間づくりのネットワークのタネをまき始めました。 |
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| 久留米・ラーメン・ルネッサンス委員会 | |||
| 時は移り平成が二ケタ代に入る頃、更に深刻化した久留米の不況。「このままではいけない。まちに古き良き時代の面影、活気を取り戻そう。戦後の復興を支えたラーメンで、もう一度まちに活気を呼び戻そう」と立ち上がったのが『久留米・ラーメン ルネッサンス委員会』の面々。全国初の民・官・学とまちのラーメン屋がいっしょになった、まちおこしの取り組みです。そして、ついに平成十一年秋に実を結び、ラーメンの一大イベントが華々しく開催されたのです。 | |||
| ラーメンフェスタ in 久留米 | |||
| 「喰わずに死ねるか!」、「とんこつラーメンの発祥地は久留米だった!!」のキャッチフレーズで平成十一年十一月六日、七日の二日間に渡って開催された『ラーメンフェスタ
in 久留米』。小春日和の久留米百年公園特設会場には、延べ十四万人のラーメンファが集まりました。市内はもちろん、県内あちこち、県外からの集客もあって、駅も周辺道路も大混雑。 名乗りをあげた市内七店舗(大栄ラーメン、大龍ラーメン、南京千両、丸幸ラーメン、満州屋、来福軒、大砲ラーメン)と、県外から応援に駆け付けてくれた三店舗(湘南・支那そばや、旭川・天金ラーメン、郡山・郡山開拓ら−めん会)、合わせて十軒のラーメン屋さんが、一日限定五百杯ずつのラーメンを提供しました。二百坪の大テントに押し寄せるお客さま。 二時間待ちの行列ができたお店もあったほど。 両日ともに5,000食ずつ用意されたラーメンは、日も高いうちに早々と売切れ、食べ損ねたお客さまが市内のあちこちへ散らばって行きました。この二日間とも久留米中のラーメン屋さんが、日頃を上回る売り上げに喜んだと聞いています。 |
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| 久留米のまちを『ラーメンの殿堂』に | |||
| 『ラーメンフェスタ in 久留米』に取り組んだ人たちの胸中には、二百坪のテントの下で共に汗を流したラーメン屋さんとボランティア・スタッフの心が一つになって大成功をおさめることができた感が強くあります。それは「ラーメンが再び久留米復興のエネルギー源になる」との明確な意志でまとまったからにほかなりません。
この大成功を機に、人々の関心は『ラーメン』に向き、全国的にも『とんこつラーメン発祥の久留米』に注目が集まっています。 この勢いに乗って久留米では、今後『ラーメン』をキーワードにした新たな取り組みが始まります。「さびれた歓楽街をラーメン屋の並ぶ通りに」、「ラーメンのまちに並行するようにラーメンのアカデミック な施設を」・・・・、香月均の頭の中には、そんなワクワクするような構想がいっぱい詰まっています。「この前のフェスタは“いまが始まり”を合図する打ち上げ花火。ゴールは久留米のまちが“ラーメン文化の発信基地”へと成長すること」と喜々として語ります。 いずれ、もう一つの『ラーメンの殿堂』が久留米に誕生する日がやってくるでしょう。その日まで、みんなの心に灯った“ラ ーメンでまちを元気に”の火が消えないように脂を注ぎ続けることが、先代からラーメン屋を引き継いだ自分の使命かもしれないと考える香月均。 社長就任十周年、二十一世紀に向けての“丼にこめる想い”は、先代への何よりの供養となり、共に頑張ってくれている大砲スタッフに示す男の羅針盤なのです。 |
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