店長統括
古沢 賢一
(別名/舞の海)
昭和41年3月9日
佐賀県生まれ
平成7年6月〜翌年8月まで長門石店に勤務し、1度は退職する。その後、平成10年2月に再入社のカムバック組
同年11月店長に就任。
 
今でこそ店長職にあるが、一度外に出てみて大砲という会社の素晴らしさを認識した。もっとハートのある人間になって、今後は自分が先輩方から教えられたことを、いいかたちで後輩に伝えていきたい。社員もバイトもさらにレベルアップするよう尽力していこうと思う
(古沢)
 
若い頃から、年輩者と錯覚されそうな風貌と気配りの行き届いた性格を持つ店長。彼もベンガル同様、“出戻りの返り咲き男”であるが、酒癖はきわめてよろしい。その面倒見のよさで部下から兄貴分的存在として慕われている彼は、唯「キテレツとベンガルの間をうまく取り持つことのできる貴重な存在である
(香月)

店長
小川 将仁
(別名/ガチンコMASATO)
昭和51年1月24日
福岡県生まれ
平成8年8月入社。
昇和亭、合川店、本店、長門石店に勤務した後、店長に就任
 
「ラーメン屋さんになりたい」と思い、この大砲ラーメンの門を叩きました。以来、仕事をとおして驚くほどの様々な勉強や、貴重な経験をさせていただいています。今後はそれらの知識・技術・経験を若手の社員に伝えながら、店を大砲信者(ハードリピーター)一杯の店にすることを目標にしています。たった一杯で「サプライズとインパクトを与える」そんなラーメンでお客様の心を掴めるよう精進します。最後に一句・・・「どこまでも ラーメン道を歩むなり」おそまつ。
(小川)
 
何を隠そう彼は、かつて一世を風靡したテレビ番組「ガチンコ・ラーメン道」の第一期生である。端正な顔立ちと実直な性格、さらにスポーツ万能(高校時代はボクシング部のキャプテンであり、ガチンコは“ファイトクラブ”の方であっても立派に務まったと思われる)とくれば、テレビのファンならずとも、世の女性あこがれの・・・であるが、彼はこの(平成16年)春めでたく結婚と相成った。今後一家の大黒柱ともなれば、一層その“拳闘家的気合い”にも拍車がかかり、新コンセプトの長門石店を盛り上げてくれるであろう。
(香月)

店長
溝田 有司

(別名/チュー)
昭和47年5月26日
福岡県生まれ
平成13年8月入社。
昇和亭〜合川店勤務した後、店長に就任。
 
入社以来、社長はじめ(株)大砲従業員、FC店舗の方、お客様またラーメンを通じていろいろな方々との出会いをいただきました。そこで感じた“人の想い”が今の自分を作っています。今後も“出会い”“想い”を大切に気持ちあふれる店作りをしていきます。すべての出会いに感謝
(溝田)
 
別名の由来はただ単にネズミに似ているから。その名のごとくコマネズミのようによく動き回り、部下の面倒見も良い。ただし、話の長さと連絡ノートの文章の長さはネズミのしっぽのよう、
彼が挨拶をはじめると、取り巻きからマキが入る。そんなチューは今日も元気だ。

(香月)

工房長
浦井 道治
(別名/ベンガル浦井)
昭和38年11月30日
福岡県生まれ
平成9年3月再入社。
カムバック後、見事に麺工房
の工房長に就任。
 
「現在、工房では麺と餃子づくりをやっている。これから各店ごとの使用量も増え、出店も増えればこの工房では間に合わなくなって、規模的にも拡大していくのは見えている。その中で、ただ製造するだけではなく、麺もスープ同様、先見性を持ちながら本物の味を研究し続けていきたいと思う。常に前向きな姿勢で、すべてに情熱をもって取り組み、多くの人と出会い接することで、自らの人間性をも高めていきたい」
(浦井)
 
かつて酒を飲んで社長に噛みつき、その日のうちにクビになったという前代未聞の男。また、“出戻りの返り咲き”を演じたのも前代未聞であり、会社としてはいい迷惑(?)だが、このサクセスストーリーはその後、古沢店長へと引き継がれた。社内に変な流れを作ってしまったこの男は、それだけ気合いも気力も素晴らしく、現在では研究熱心な“麺の職人”として当社麺工房に君臨している。最近では酒癖も多少よくなり、天敵の“キテレツ君”とも仲良く飲んでいるというウワサを耳にする。めでたし、メデタシ
(香月)

店長
田中 伸之
(別名/そのまんまノブ)
昭和45年10月14日
福岡県生れ
平成12年9月入社
長門石店、昇和亭、本店に勤務後、 店長就任
 
「物心ついた時からラーメンが大好きで、美味しいラーメン屋で働くのが夢でした。それが大砲に入社した一番の動機でした。 自分で美味しいと思えるラーメンを作り、お客様に食べていただきたいという思いの中で、色んな人と出会い、様々な経験をさせていただいて、今の自分があります。今度はその経験を自分のものだけにせず、後輩に伝えていく事が私の役目と思っております。 最後に、今からのラーメン屋は本物しか残らないと思います。当然、作る人も本物でなければなりません。私は全力でその思いを後輩に伝え続けます。」  
(田中)
 
打ち込める仕事に出会えずフラついていた二〇代後半、何気なくバイトで入った大砲、その出会いが自分の人生を変えたという。その言葉どおり、バイトからたたき上げの、今や立派な店長である。ほめてばかりでは面白くないので、楽しいエピソードを暴露したいが、現在のところ社長の前では決して失態をみせず、また過去の失態は本人がひた隠しに隠しているのでネタがない。しいて玉に瑕(きず)と言えば「漢字が苦手」なところ。只今(これも苦手な)読書で特訓中。
(香月)

店長
中島 康之
(別名/ヤッチャンはどこ行った)
昭和49年5月1日
大分県生まれ
平成4年4月入社。
本店、長門石店、合川店、計4年間の修行を経てFC大分店の店長を任せられる。
 
大分のお客さまは、久留米と違って、とんこつへの馴染みが薄く、多少苦労しています。自分が「うまい」と信じるラーメンを魂を込めてつくり続け、この地に根付かせていこうと思います。調和と向上の精神を胸に、自分も早く社長のような“偉大なおやじ”になるよう頑張ります。
(中島)
 
FC大分店をウッカリまかされてしまった、元ヤンキー上がりの店長。本店修業時代から時々姿をくらませる癖があったが、その癖は別府に帰っても健在だと本人は自負している。一見いい加減なようだが、若いながらも二児の父親。“大砲スピリッツ”を大分・別府の地に広く伝播させる伝道師として、彼の活躍を社長は首を長〜くして待っている
(香月)

店長
桑名 史明
(別名/クラウチング桑名)
昭和53年3月6日
大分県生まれ
平成9年10月入社。
FC別府店、FC大分に勤務した後、店長に就任。
 
平成九年、大砲ラーメンに入社してその間いくつかの失敗もしてきましたが、今ではいい想い出になっています。そして今、一番大切にしていきたいことがあります。それは「想い」です。「ラーメンに対する想い」「お客様に対する想い」これがないと美味しいラーメンも元気な店もつくれません。これからも常に何事にも肯定的に取り組み、周囲の全ての人たちと共に、日々自らも高めていきたいと思っています。
(桑名)
 
分不相応の年上の女性を好む童顔店長。持ち前の陽気さに加え、笑うと幼児のような無垢な笑顔の持ち主で、店長会議のマスコット的存在であるが、酒を飲むと素っ裸になり、先輩店長たちに尻を向け“クラウチングスタート”のマネをするという病気の持ち主。この病気は伝染しないが、彼のラーメンづくり・店づくりへの“想い”は見事に店のスタッフヘと伝染しているらしい。久留米から遠く離れた別府の店だが、隣町大分の“ヤッチャンはどこ行った”店長の良き相方として、現在売り出し中。
(香月)

店長
山口 彰宏
(別名/宴会番長)
昭和46年8月11日
福岡県生まれ
平成13年6月入社。
本店〜合川店〜本店に勤務した後、店長に就任。
 
〜妥協はイカン〜数年前、和食板前の世界から、本来自分が目指していたラーメンの世界に飛び込みました。大砲ラーメン入社初日、店内に入るとすぐに熱いものを感じました(店内の空調のせいではありません)。それは先輩方の、たった一杯のラーメンに対する情熱の熱さでした。その日から今日まで、自分は何度か挫折しそうになりながらも「妥協はイカン」と自らに言い聞かせ続けました。それは「妥協は一生の後悔となり、人生をも中途半端にしてしまう」という気持ちでした。今後はその経験を後輩に伝えながら、お客様にそんな心の調味料をそそいだラーメンをつくり続けていきます。
(山口)
 
甲子園の常連である柳川高校野球部出身。当然のように絵に描いた“体育会系固太り男”。頭は当たり前のように“スポーツ刈り”。その姿は1km先からも彼だとわかる。学生時代は番長をこなし、現在は部下の宴会で番長をこなす。先日のソフトボールでは四番(初打席三振)をこなした。今(平成十六年)のところ新任店長なので大人しくしているようだが、有名な柳高野球部の地獄の特訓を貫いた男だけに、周囲の者は今後の彼の“突然暴発的番長系活躍”を恐れているとか?
(香月)

店長
久富靖悦
 

 


店長
久野亨
 

 


本部事務所長
井ノ口 辰巳
(別名/コモエスタ井ノ口)
昭和37年12月24日
福岡県生まれ
昭和61年5月入社。
本店で店長として勤務後、本部事務所所長就任。
 先代の味に惚れて、この仕事を始めました。あれから20年・・・・。大砲ラーメンで学んだこと(人づくり・店づくり・ラーメンづくり)は、一生の宝物です。まだまだ実は熟していませんが、この秋(平成16年)店舗から本部事務所に所長として異動することになりました。これからは、高い志をもって学んだことを実行に移していくよう努力していきたい。
(井ノロ)
 
勤続二十年以上(アルバイト時代含む)の社歴最長老。カラオケマイクを持つと自動的に“コモエスタ赤坂”を歌い出す。大砲入社当時から長年歌い込まれたこの曲を歌う彼の声には、仕事同様、このの男独自の深い哀愁がある。しかし、本人はこの曲しか知らない。仕事も歌も一本道。また、彼の少々のトラブルには動じない“冷辞さ”と、窮地を乗り越えるまでの“持久力”は社内でも定評がある
(香月)

本部
  営業企画室長

下田 敬一
(別名/キテレツ君)
昭和38年12月13日
福岡県生まれ
平成7年3月入社。
本店で店長として勤務後、本部営業企画室室長就任。
 
「人を指導する立場になって、その難しさを実感している。スタッフと共にお客さまに喜んでいただける店づくりに尽力し、この会社に不可欠な存在になりたい。昇和亭にしかない雰囲気、出せない味を追求し、もっとオリジナル性を高めていきたい。近辺に、今以上にラーメン屋が増えても、互いに切磋琢磨しながら成長していきたいと思う」
(下田)
 
ラーメンは無論、他分野の料理・パソコン・お絵かき・カラオケ・・・・何でもこなす器用な男で、社内きってのアイデアマン。ちなみに昇和亭の厨房はすべて彼の設計である。しかし、マルチプレイヤーにも弱点はつきもの。エリートで負けず嫌いの彼だが、こと“女性”にはきわめてヨワイ。また、ここだけのハナシ、彼の天敵は“ベンガル浦井”だとか。
(香月)

 

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