博多一風堂 力の源通信 Vol.28〜32、Vol.36〜38 に掲載。

◆◇◆  ラーメン放浪記 其の一 ◆◇◆

 最近よく小学生や中学生が、グループで僕の店に見学に来ます。
 聞くところによると、あくまでも学校が認めた学習の一環ということらしく、中には“店内学習”まで希望する子供たちもいて、そんなときは店長が簡単な作業を優しく指導しています。
 店長に伴われた小学生が、可愛いエプロン姿でお客さんにお水を提供する姿は、お客さんから 見ても、なんとも微笑ましいのでしょう。とても優しい目でその子供たちを見守ってくださっています。

 
  時代は変わりましたナァ・・・。今はタダのラーメンおやじですが、そんな僕にも小学生の時代がちゃんと存在したのであります。
 しかし当時の小学校の社会科見学は、何と言ってもその町を代表する 大企業に限られており、ラーメン店の見学なんぞ絶対にあり得ませんでした。
ところが僕は、そんな学校教育からは見向きもされないラーメン屋の長男坊です。
来る日も来る日も、夏休みはおろか日曜祭日その他の学校というものが無い日はすべて、店の手伝い。
当然ここには優しく指導してくれる店長なんかいるはずもなく、いるのは、気に入らないとお客さんまで殴り倒してしまう、“狂ったように元気なカミナリおやじ”だけでした。(右写真)
 「そら、ガバしるしかったろーばってん、ラーメン屋の息子やけんしょんなかろー(〜それは、とてもつらかったでしょうが、ラーメン屋の息子だから仕方ないでしょう〜の意)」
と周りのオトナたちから言われてましたが、僕だって普通の子供たちのように、休みの日ぐらい力いっぱい遊びたい盛りの年頃です。

 僕は豚の背脂をカットしながら、この古代ローマの奴隷船のような店の子供にウッカリ生まれてしまった自分を呪いつつ、密かにつぶやいていました。
「こげーんか(こんな)子供ば強制労働させなやっていけん商売やら絶対せんぞー」と。

−−−次号 乞うご期待−−−

【力の源通信 Vol.28 掲載】

 

◆◇◆  ラーメン放浪記 其の二 ◆◇◆

(前号よりつづく)
 幼児迫害のラーメン屋台にも、僕にはささやかな楽しみがありました。それは深夜、屋台前の歩道いっぱいにチョークで“お絵かき”することでした。テレビどころか子供のオモチャも買えないビンボー屋台の長男坊にあてがわれた玩具は唯一、白いチョークだったのです。 〜実はこの、はかなく小さな白い棒が、数十年後の僕の人生に大きく役立つとは、誰とて知る由もありませんでした〜「絵が苦手」な大人は沢山いますが、元々子供時代には“絵心”があるそうです。
僕も、真っ白な新しいチョークをおやじから貰うたびにワクワクしました。
あとはもう、夜の歩道に“鉄腕アトム”や“鉄人28号”など当時の好きだったヒーローキャラクターを、僕はただひたすら描きまくっとりました。

 まるでニューヨークの地下鉄アーティストの元祖的な幼児だったわけですが、なんせ深夜の繁華街の歩道に4〜5才の幼児が一人で絵を描いているのです。ヨッパライにとって(ヨッパライじゃなくても)その光景は摩訶不思議なもので、歩道の暗すみにうずくまるように絵を描いている僕に出くわした途端、まるで座敷わらしでも見たかのようにギョッとし、そして恐る恐る僕の絵を覗き込むと、以外と上手だったらしく、二度ギョッとしてました。
忘年会シーズンともなると、僕の周りにヨッパライの人だかりができたのを憶えています。

 やがて月日は流れ、僕もいつしか青春期を迎えました。その頃になると、おやじの屋台は“店舗”へとバージョンアップしとりましたが、その本質に変わりはなく“ローマの奴隷船”が“タイガーマスクの虎の穴”になっただけでありました。当然青春期の青年である僕は、とっくに白いチョークは卒業して“ギター”に没頭し始めていました。ところが、虎の穴の星一徹(なんかスゴイ組み合わせ)は相変わらず容赦がなく、ギターを弾こうとする僕を見つけると“豚の背脂カット”を命じます。
いつの間にか店のバージョンアップと共に、そのカット量も増えており、手を洗ってもなかなか落ちない背脂のおかげで、僕のギターの弦はいつも脂でコーティング状態。僕は“サビ知らずの弦”をチューニングしながら密かにつぶやいていました。
「こげーん才能溢るるビジュアル系ミュージシャンのヨカ息子の将来を潰さなやっていけん商売やら、絶対せんぞー」と。

−−−次号 乞うご期待−−−


【力の源通信 Vol.29 掲載】

 

◆◇◆  ラーメン放浪記 其の三 ◆◇◆

(前号よりつづく)
 いま、このコラムを書いている僕の傍らに、青春時代の墓標のような、古いアコースティックギターが立てかけられとります。『GUILD−J50』という1970年代のオールドギターです。
先日、数年ぶりにケースから出してみると、ボディは傷だらけで、ヘッドは何かにぶつけて凹んでるといった具合の、年季の入った懐かしいギターでしたが、軽く鳴らすと、これまた懐かしい乾いた音がしました。
これは25年前に買ったときから良く鳴くギターで「女とギターは鳴(泣)かせてなんぼ」などとイキがってた若い頃が甦ります。

 18になった僕は、朝から晩までギターばかり弾いており、アマチュアバンドとしては、博多の街でそれなりにブイブイ言わせたもんですが、本来はお絵かき(グラフィックデザイン系)大学の学生でありました。
幼少の“白いチョーク”体験が、僕をその道に進ませたのです。“右手に絵筆・左手にギターのネック”という、二つの感性を兼ね備えたマルチアーティスト(?)・・・というより、二足のワラジを履いた貧乏学生です。
ギターで作詞作曲するにしても、ケント紙に絵を描くにしても、とにかく自分の気持ちを表現するのが大好きな若僧だったのです。

 ところが、卒業が迫るにつれて、「自分はデザイナーになるべきか、ミュージシャンになるべきか、僕はイッチョ前に人生の選択で迷い始めました。悩み過ぎてイライラし、オヤジの血なのか酔狂回してギターを蹴飛ばしたことも憶えとります(ヘッドの凹みはそのときの傷)。
若い頃はどうしても派手な仕事やカッコイイ仕事にあこがれるもので、その選択肢の中には、ハッキリ言って“ラーメン屋”はありませんでした。しかし、天の神サマはそんな放蕩息子の姿をシッカリ見とらっしゃるようです。何と卒業直前に、オヤジとお袋が申し合わせたように、二人揃って脳卒中とガンで入院したのです。
もう、就職やデビューどころではありまっせん。僕の人生の選択はその瞬間に“選択肢外”であるはずの“ラーメン屋”に決定してしまいました。正直、そのときは辛かったです。

 閉店後、薄暗い店のテレビをつけると、バンドの後輩・大内が、藤谷美和子と「愛が生まれた日」をデュエットしとります。チャンネルを変えるとデザイン仲間の北条が描いた漫画「キャッツアイ」がTVアニメになってドタバタやっとります。僕は、暗い厨房でひとり残飯を片づけながら、テレビから聞こえてくる友人たちの華やかな歌声を背中で聞きつつ、思わずつぶやいてしまいました。
「やっぱラーメン屋になってしもうた・・・げさっかー(※)」と。

−−−次号 乞うご期待−−−

※注:「げさっかー」とは「格好悪い」の意。久留米弁。一般的に男性が使う言葉。
まれに中年以上の女性が使う場合があるが、若い女性がこれを使うとげさっか。
最上級は「がばげさっか」


【力の源通信 Vol.30 掲載】

 

◆◇◆  ラーメン放浪記 其の四  〜一風堂・河原さんとの出会い〜 ◆◇◆

(前号よりつづく)
 そんな20年ほど前のある日、当時の彼女(今の妻にあらず?)が言いました。
「ねーねー(口ぐせ)、福岡の西通りに最近女の子に評判のカッコイイラーメン屋さんがあるよー。ねーねー、一緒に行こう?」
と。すかさず僕は
「バカタレ、ラーメン屋にカッコイイもワルイもあるか!ラーメン屋はラーメン屋たい。げさっか商売たい」
などと、彼女の話を一蹴したものの、薬院にある某大手T印刷のTアイデアセンター(ここまで書けばバレバレ?)でアートディレクターなるセンスが勝負の仕事をやっとる彼女の言うことですから、何となくその“カッコイイラーメン屋”が気になってしまい、とりあえず行ってみることにしました。

 そのラーメン屋は、西通りの賑やかな本通りを一つ裏通りに入ったところに、こぢんまりとありました。
それは、とてもラーメン屋とは思えないオシャレな店で、和風テイストののれんをくぐればウッディな店内に流れるジャズのBGM。一枚板の特大テーブルの上の壁にはメニューが墨書きされた大きな和紙が貼ってあり、若くて元気な店のスタッフの格好は“バンダナ”と“法被”というイキな姿。当然、星一徹のような重苦しいオヤジは一人もいません。

 そうです、いまの流行の若手ニューウェーブ系ラーメン店のスタイルは、まさに17年前の博多のこの小さなラーメン屋から始まったのです。そして、最後に肝心要のラーメン(豚骨)を食べると、コレがまたウマイ!
しかもクサくない!

 僕は衝撃を受けました。ラーメン屋の息子でありながらラーメン屋を恥じて育ち、長じてラーメン屋を継いでもなお、ラーメン屋を否定している歪んだ青年は、ショックのあまり「ねーねー」と話しかける彼女の声も耳に入らず、ただ呆然としていました。
 やがて僕の心の底あたりに小さな炎が灯りはじめました。
「ラーメン屋ちゃ、ひょっとしたらカッコイイとかも知れん・・・。もしかしたらクリエイティブかも知れん・・・。」
僕のラーメン屋としての未来とか将来とか、そして何というか、人生の素晴らしさとか深さとかそんなところへと続いていく永い道、その入り口のドアのノブが“開”の方向へ「カチャ」と音を立てた気がしました。
やがて店を出た僕は、外からもう一度暖簾の上に掲げられた木製の看板を見上げました。
そこに書かれた屋号は「博多 一風堂」。

 その時この店のマスターらしき人が帰って来ました。赤いバンダナをしたイキな長身のマスターは僕たちをチラリと見て笑顔で短く「どうも」と挨拶すると、店に入って行きました。その時はただそれだけの出会いでしたが、これが、その後長く付き合うことになる一風堂の社長・河原さんと僕との最初の出会いだったのです。

−−−次号 乞うご期待−−−  


【力の源通信 Vol.31 掲載】

 

◆◇◆  ラーメン放浪記 其の五  〜最終回「ラーメンありがとう」〜 ◆◇◆

(前号よりつづく)
 「人生に無駄はない」といいますが、いま僕はその通りだと思っています。
 あの日の一風堂との出会いで目覚めた僕は、今まで経験したこと、一見何の脈絡もないそれぞれの経験が、一本の線でしっかりと繋がっていたことに気づきました。その数年後に大砲ラーメンは、初めての支店「合川店」をオープンしたのですが、その店の建築から什器類、はてはスタッフのユニフォームにいたるまで、そのデザインコンセプトには、過去に学んだグラフィックデザインの経験が活かされました。
そうです、そのルーツは父の屋台で覚えた“チョークのお絵かき”が原点になってます。
また店内に響く麺揚げのリズミカルな音に合わせた店内BGMの選曲、すなわち“音空間演出”の感性は、バンド時代に養われました。そして一番大切なラーメンの調理技術と味覚は、もの心ついた頃から父“星一徹”に鍛えられたことは言うまでもありません。手前味噌ながら、この合川店はオープンした平成三年当時、久留米で初めての“モダンなラーメン屋”として話題を呼び、地元ラーメン業界に新風を巻き起こしたようです。

 実はその頃、この合川店の噂を聞いた一風堂の河原さんが、何と社員数人を引き連れて視察に来られたのです。
あのすれ違いの出会いから六年目のことでした。僕は正直に伝えました。
「この店の発想のきっかけになったのは、実は河原さんの一風堂ですよ。」と。
あとは二人意気投合、かくしてラーメン屋同志の長い付き合いが始まったのでありますが、後に訊いたところでは、河原さんもかつて高校時代はデザインを勉強されてて、その後は芝居の稽古なども演ってたそうです。気が合うハズです。

 さて、このコラムシリーズもついに終わりに近づいてきました。河原さんとの出会いから今年で17年目を迎えます。
現在僕は、不況の町久留米を何とかできないかと、ラーメンによる町おこし“ラーメンフェスタin久留米”の企画やら何やらと、全国のラーメン仲間に協力を仰ぎながら、せかせかやっとりますが、河原さんの方といえば・・・、
やっぱりカッコイイですな。日本のラーメン文化をアメリカに持っていきたいと、その準備に余念がない(?)とか。

 最後に、僕にラーメンの素晴らしさやカッコよさ、そしてラーメンの持つパワーや無限の広がりを知るきっかけを与えてくれたのは、一風堂社長・河原成美という男でした。
 また、そんな僕のラーメン人生の原点は、やはり“星一徹”こと僕の亡き父・香月昇です。

 いま僕はつくづく思っています。
「ラーメン屋の息子に生まれて良かった」と。
河原さんありがとう。
そして、親父ありがとう。


【力の源通信 Vol.32 掲載】

 

◆◇◆  ラーメン放浪記・リターンズ 其の一  〜源泉スープ〜 ◆◇◆


 皆様お久しぶりでございます。
心優しき読者の方々から、僕の駄文にもリクエストのお声をいただきまして、有り難くも恥ずかしながら帰って参りました。謝謝。

 さて、先日何気なくテレビの温泉番組を見てましたら、温泉博士なる人が登場して、なにやらマイナスイオン測定器というキカイで、全国あちこちの温泉の効能を測定してました。
僕は最初「どの世界にもフリークはおるもんばい(いるもんだ)」ぐらいの意識で眺めておりましたが、この博士、ナカナカどうして。博士曰く、人をリラックスさせる温泉効果の度合いは、マイナスイオンの数値で決まる。源泉の湯を直接引いた湯船のイナスイオン濃度は極めて高く、最高のリラックス効果がある。
しかし湯船が源泉から遠く離れていたり、高温過ぎるために水で薄めた温泉などは、極端に数値が低くなる。逆に源泉が低温のためボイラーで追い炊きをし、光熱費節約のために塩素を加えながら湯を循環させるなどは論外で“温泉”とは
呼べない。 僕はしだいに「う〜む、ナルホド」。
博士はさらに「オシャレで立派な建物の温泉宿は数あれど、本物の“源泉の宿”は、全国一万数千件の中で百数十件、わずか一%しかない」と、番組を結んでました。 

 僕は思いました「こりゃ、ラーメン業界も気ィつけにゃんばい。(気をつけなければなりません。)」と。
店構えと接客トークだけカッコよくてもスープはインスタントという、効率重視の資本家によるブーム便乗型の店が増えてきた最近のラーメン業界。前述の温泉の“源泉”をラーメンの“手づくりスープ”にたとえた場合、やがてこのラーメン業界にも、本物の“源泉”スープの店は、わずか一%という時代が来るのでしょうや?


   〜 この続きは、次回のココロだ 〜

【力の源通信 Vol.36 掲載】

 

◆◇◆  ラーメン放浪記・リターンズ 其の二  〜さらばラーメンブーム(上)〜 ◆◇◆

久留米・大砲ラーメン店主 香月 均

 2年前の夏、僕は『愛の貧乏脱出大作戦』というテレビ番組に達人役で出演しました(一風堂・河原氏も番組では僕の先輩達人)。ご存知「不人気で貧窮する店の主人を『達人』が厳しく指導し、繁盛店に生まれ変わらせる」アノ番組です。
 僕が指導した某店も放送直後に大ブレイクし、売上は何と十数倍。小さな町の新名所となりました。売上に悩む小さな店にフラリと現れた見ず知らずの男が、突然その店を大繁盛店にバケさせサラリと去って行く…、まるで映画『シェーン』のラーメン版です。実は、そんなシェーンまがいのコトを、僕はそれ以前から最近までやっとりました。同業異業、困ってる人を見たらプロデュース料は一切無料。それどころかアゴ・アシ自前の完全ボランティアで、見境なく何軒もの店を立ち上げ、また立て直しに協力し、生命を吹き返していくまで見守ってきました。

 しかし、BUT、ばってん、次第にシェーン気取りでイイ気な僕と、それに振り回されるウチの社員たちの苦労、そして何よりも「前は貧窮、いま繁盛」となった店主たちの感謝・志・信念の変化に疑問を感じるように…。これらを見るにつけ「自分のしてきたことは正しかったのか? 誰のためにもなっとらんのではないか?」と考えた末、血肉を分け合った奴らを除き、ラーメンシェーンは『ジ・エンド』としたのです。

「次はビジネスにして金儲け」ではありません。僕は肝心なことを伝えきれていなかった。それは、ラーメン屋としての魂。ムズカシイですね。要するに「優越感に浸ったラーメンおやじ(僕)が、ラーメンに対する志や信念の希薄な人(僕が指導した一部の人)たちにまで、そのノウハウを無節操にバラまく」ことに、ハズカシさと問題を感じ、さらに「これはラーメン業界に荒廃の種を蒔いているようなモンばい。*『源泉ラーメン』の絶滅をも早めてしまう」と思うようになったのです。
   
  〜この続きは、次回のココロだ〜

*注 前号述・手づくりスープを提供する店

【力の源通信 Vol.37 掲載】

 

◆◇◆  ラーメン放浪記・リターンズ 其の三  〜さらばラーメンブーム(下)〜 ◆◇◆

久留米・大砲ラーメン店主 香月 均

 博多のある大型商業施設の中に、一昨年にオープンしたラーメンテーマパークがあります。「久留米の僕の店と博多中洲の同名店舗とは別物だよ」と博多っ子に伝えるためとはいえ、そのラーメンテーマパークに出店中の僕が言える立場ではありませんが、その後全国に同様のラーメンテーマパークが出来るわデキルワ、まるで雨後の^筍のよう。そのうち県庁のように“各都道府県に一カ所”ということになってしまうのではと思えるほど、その無節操な乱立ぶりに目に余るものを感じるのは僕だけでしょうか。

 ラーメンテーマパークの元祖といえば、十年前にオープンした、ご存知“ラー博”こと“新横浜ラーメン博物館”。 このラー博のみがラーメン情報の発信基地であり、真のラーメンの殿堂でありました。“ご当地ラーメンブーム”“ご当人ラーメンブーム”など、近年のイキなラーメンブームは、まさにラーメンに人生を賭けたラー博のラーメンバカたちが仕掛けたものであります。

 しかし、そんなラー博さえも埋もれてしまいそうな類似施設の氾濫に、僕は強い危機感を感じています。
僕は、ラーメンテーマパークは関東・北海道・九州にそれぞれ一カ所で充分と思っています。それは“しょうゆラーメン”“味噌ラーメン”“とんこつラーメン”というラーメン三大文明の発祥地だからです。
 それが、地域おこしを目的とした非営利団体による公共的な“ラーメン祭り”なら ともかく、ラーメンに関係ない企業のラーメンに情熱も興味もない人たちが、ラーメンに縁もゆかりもない土地の商業施設の一角に、ラーメンテーマパークを乱立させているのです。
その目的は“営利主義”この一点のみ。「全国のラーメン屋を適当にかき集めれば儲かる」という幻想に取り憑かれているのです。

 ラーメン屋もラーメン業界も、もはや使い捨て。ラーメンへの冒涜です。このような人たちの手で、無駄でパンパンに肥大化されたブームが作られ、やがてこの人たちの手で、針を刺され破裂させられるのでしょう。
いまラーメン業界は“ノアの洪水前夜”です。そのときに箱船に乗れるのは、どんなラーメン屋さんでしょうか?……とても楽しみです。

「ラーメン放浪記・リターンズ」おしまい

【力の源通信 Vol.38 掲載】